島原の乱ー三万七千人の民衆の戦いと虐殺(2)

島原の乱ー三万七千人の民衆の戦いと虐殺(1)
のつづき

島原の乱を起こす直前、一揆軍の指導者達は、有明海に浮かぶ「湯島」というところでまだ若年だったキリスト教徒の天草四郎を総大将にして叛乱を起こす計画を立てました。この談合が行われた事から、この島の別名を「談合島」と地元では呼びますが、父は人生殆ど「団子島」と思ってました。確かにおだんごのような島ですが、、、つい数年前65年ぶりに団子ではなく談合だよ、と訂正したらエラクたまげておりました。

代官所を襲った一揆軍は、方々を転戦した後、天草の軍勢と呼応して、亡き有馬晴信の居城であった天然の要塞「原城」に老若男女3万7千人と共に徹底的な籠城戦を試みます。「原城」は後方を海の断崖で守られ、前方は天然の湿地帯の堀になっており、容易には攻略できない構造でした。

キリスト教を禁制以後一旦は捨てる領民も多かったですが、戦国末期から江戸幕府が成立し、特に3代将軍家光以降、当地の禁教と政治が苛烈になるに伴い、特に虐げられた最下層の庶民を中心に、天国での救済を説くキリスト教信仰は再び島原、天草地方の民衆の間で広まっていきました。
この間のくだりは先の矢文にもありますが、大切な事は、キリスト教が最も弱い立場の庶民に希望を与え、寄り添ったことが大きいと思われます。

キリスト教の「愛」の概念は日本になく、当時も「愛」という言葉では訳されませんでしたが、その部分は「御大切」と訳されました。自分達を大切にしない島原藩松倉家に弓を引いて歯向い、自分達を大切に扱い、救いをもたらすキリスト教信仰に皆向かうのも尤もではないかと。私もそう思います。

矢文の内容を見て驚くのは、信仰が必ずしも一貫したものではなく、松倉家がいい政治を行い領民の生活を安らかにすると約束するのなら、私たちはキリスト教信仰を捨てましょう、と堂々と書いている事です。厳格な宗教的信条をつい想像してしまいがちですが、当時の庶民の方々の心の揺らぎが生々しく伝わります。やはり本当の意味での安心、救いを庶民は求めていたのだと痛烈に思わされます。

禁教の初期、キリスト教弾圧で命に及ぶ迫害を無数の方が受けましたが、最期まで信仰を貫いた方の多くが、死後これで天国へ行けると、喜んで首を自ら差し出したそうです。長崎奉行(幕府直轄領)や島原藩松倉家も改宗しないキリスト教徒を数多く処刑し、寧ろ処刑が相手を喜ばせてしまうと知って、より残忍で苦痛を長く味わせる方法へと処刑内容を工夫しました。

この間のくだりは有名な遠藤周作の『沈黙』などでご存知の方も多いとおもいます。詳細は敢えて書きませんが、人を苦しめるためにここまで考えたのか、というような言語を絶する拷問が数多く行われました。それでも改宗せずに死を選ぶ人が多かったのは、死後の救いを心から本当に信じていたからでしょう。当時のキリスト教はそこまで深く、密接に、最下層の庶民の心に寄り添っていました。

ちなみに、その矢文には、一方では改宗もすると書きながら、断固として松倉勝家の首を要求していることです。江戸時代の百姓や漁民が、自分の領地の殿様の首を差し出せ、それならばみんな処刑で構わない、と覚悟を決めているのは余程のことです。

勝家の行った藩政を死んでも許さない、という庶民の強烈な怒りが強く伝わってきます。
原城を籠城に選んだのは、海側から援軍であるカトリック教国の支援を待っていたからであるとも言われています。内々で欧州から援軍を送る密約なども潜伏宣教師を通じてあったようですが、ローマ教皇はじめ、ポルトガルなどのカトリック教国はとうとう援軍を送らず仕舞いでした。籠城戦は守る側としては悪手だと言われていますが、こうして日本最大規模の武士と庶民の長い戦いが始まりました。

写真:島原の乱の一揆軍の談合が行われた湯島。談合島の別名がありますが、団子島ではありません、、、田舎の墓にて、筆者撮影。

執筆者プロフィール

三木千八
三木千八
15歳の時、身内が末期がんで苦悶のうちに死んでゆく姿を目の当たりにし、基礎医学研究者になることを決意。
新潟大学理学部早期退学後、奈良先端科学技術大学院大学博士前期課程(細胞生物学専攻)修了。その後北海道大学大学院医学研究科博士課程(癌医学専攻)に進学し、同大学医学部付属癌研究施設、及び遺伝子病制御研究所にて基礎医学研究に従事。その後、臨床医学の道に転向し、博士課程中退、学士編入学を経て旭川医科大学医学部医学科卒業。卒後、北海道の中核市の基幹総合病院で臨床研修を受け、同院精神神経科勤務(緩和ケアチーム所属)、民間単科精神科病院副院長を経て、現在東京23区内で精神科・心療内科診療所を開設し、同院長。精神保健指定医。
バッハ、ベートーヴェン、ブルックナー、ショスタコーヴィチの音楽を好み、尊敬する音楽家はヴィルヘルム・フルトヴェングラーとエフゲーニ・ムラヴィンスキー。
清流や湖水での鱒釣りが心の憩いで、釣りの腕だけなら本業(精神科医)を上回っていると勝手に妄想しています。三男一女の父。東京都在住。

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