私の名前はルイザ

1月6日はイタリアの子供の日とされる「公現祭」でした。『東方三博士が幼子イエスを礼拝した日』とされます。

だからでしょうか、イタリア人は子供を大切にします。
自分の子供だけではなく他人の子供にも大変優しいです。

もう去年の話になってしまいましたが、
南青山に児童相談所を建設することに一部の住民達が反対しているという報道を目にしました。とても悲しいことです。

少し状況は違うかもしれませんが、一つご紹介したいと思います。

イタリアでは保育園から大学まで*ハンディキャップ(身体・知的・精神)のある子供も普通学級で学ぶことが出来る権利が法律で保証されています。(art.12 legge 104/92)
(*不利な条件。また,それによって生じる不利益。ここで「障がい」ではなく、この言葉を使っていることに注目したいと思います。)

学校では障がい児一人に一人の専任教師がつきます。つまり、教室でクラスの子供達と担任の教師+障がい児と専任教師が一緒に過ごします。

うちの子供が小学校に通っている時に5年間(イタリアの小学校は5年制でクラス替えは行われません。)重い障がいのあるお子さんと同じクラスでした。

「わたしのなまえはルイザ。

わたしはふつうにおしゃべりしたり、
はしったり、ほんをよんだりできません。

でもわたしはこころおだやかでしあわせです。

そしてわたしのたのしみはがっこうへいって、
みんなとあうことなのです。
みんなのうたごえをきくことなのです。

そしてときどき、まちなみや、
ことりがおおぞらをよこぎるのをながめているのです。

わたしはそんなことがすきなのです。

あなたにはそれがわかりますか?」

おやつの時間には皆はパニーノを食べますが、彼女は流動食です。
でも女子達が、ルイザにおやつをあげるの、私よ、と順番待ちになります。

ルイザは退屈するといつでも廊下に出ていきます。
彼女用の控え室もあります。
学校に何時に来て何時に帰っても良いのです。

授業の妨げになるとか、こんな事に税金使うな、とか文句を言う親は一人もいません。

子供達はどれほど貴重なことを彼女から学ぶことができたでしょうか。
そして彼女に接する大人たちの態度からも、多くのことを感じたはずです。
それらは教科書や黒板からは絶対に学べないことです。

本当に同じクラスで良かった。

南青山の件は私達に色々な問いを投げかけてくれました。

困難な状況にある子供達に対して「かわいそう」という言葉は使いたくありません。使った瞬間に自分は安全地帯にいて、上から目線になるような気がするからです。

他人を蹴落として自分が上に行こうとするのか、
それとも皆で共に一歩前へ進むのか。

声を上げる事の出来ない、弱い立場の人達の声なき声を聴くこと、それが本当の「洗練された社会」に近づいていく一歩ではないかと思います。

 

 

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執筆者プロフィール

セラフィーニ まり
セラフィーニ まり
イタリア在住30年。
専門はイタリア中世・ルネサンス美術。
イタリア建築、特に教会建築に興味があり、詳細に観察し写真に撮るのが趣味。
いい加減だけど心優しい人達に囲まれてイタリアの片隅から、世界と日本を眺めています。

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