島原の乱ー三万七千人の民衆の戦いと虐殺(4)最終

島原の乱、後記、後日談です。
乱の結果、島原地方の領民は壊滅に等しいほど殺戮され尽くしました。
大名は高位武士とはいえ、基本領民からの租税、年貢米が主たる収入源です。
その租税品、年貢米を作る領民達が乱で3万7千人も消滅してしまいました。
島原藩主、松倉勝家は前述のように苛政の責任を問われ、江戸幕府史上、大名唯一の斬首。
島原藩は、藩主も領民も殺された荒涼たる半島となりました。

この事態を打開するため、幕府は全国各地から島原地方に人々を移住させました。
移住元は多岐に渡りますが、中でも小豆島からの移住者が多かったようです。
乱の中心になった付近の今の島原西有家ではそうめんが特産品ですが、
これは元々小豆島の特産品が島原でも作られたのが由来のようです。
ちなみに私の実名の名字も小豆島に多いと言われます
(ここで漸く(1)の伏線回収、、、)。

私は、父方のルーツは、長い間ずっと移住者の末裔の流れと信じきっていました。
そうめんを作る祖母生家宅は西有家の、雲仙に向かう坂道の高台の片隅に集落がありますが、その集落内では随分昔から集落内でいとこ婚を繰り返してきたので、どこもみんな元を辿ればだいたい親戚です。
実際祖母生家宅は今もいとこ婚です(なので、レヴィ=ストロースの親族構造研究、構造主義には強いリアリティを体感しています)。
お世話になった祖母の弟の奥さんも、祖母のいとこでした。

つい数年前、80歳代の祖母の弟さんと、集落の墓地に墓参にゆきました。
弟さんは大工の棟梁だったので、集落の家はほぼ彼が中心に建てました。
帰り路に、この家の柱はこう作った、とか、この家はこうした、とか雑談してる際、
ふと縁者宅の家を指差して、
「ここん家のしぃは、島原の乱ンにき、城ば立て篭もりよらしてさいね、殺されよらしたげなったい」
(訳.ここの家の人は、島原の乱の際に籠城して、(幕府軍に)殺されたということだよ)
とさりげなく400年前くらいのことを、つい昨日のように語られました。

「へっ????」
とびっくりして話をさらに聴くと、どうやら乱で完全に領民が死に絶えた訳でなく、僕たちの祖先にあたる人は家族を乱で喪いましたが、集落で細々と生き抜いていました。
当時からずっと農家でしたが、周囲がそうめんを作ってるので、そうめんを作り出したのも今の世代以降からだそうです。
しかも、400年前のことがついこの前のように語られるくらい、集落の家自体は変わらず、婚姻を通して人の交流や伝承が長く続けられていました。

自分にとってこれはかなり驚天動地のことで、父方ルーツの血縁者が乱に参加して幕府軍と戦って殺された事実を知らされたことは、かなりショッキングな出来事でした。
当時の戦いの様子は現地でもかなり生々しく伝承されていて、数百年という時間が本当に僅かに感じられるくらい、リアルでビビッドでした。

雲仙の火山性の土壌は耕作に適さず、戦後の食糧難は島原地方ではより一層深刻で、ほぼ昭和30年代になるまで白米を目にすることが稀だったと父や祖母から散々聞いて育ったので、当時の耕作技術で松倉家による苛烈な年貢の取り立ては、想像を絶するほど人々を地獄の苦しみに追いやったことに間違いありません。

キリスト教は、戦国末期〜江戸初期、当時の最も最下層の庶民を中心に広がり、一時、全国の1割ほどがキリスト教徒になったとも聞きました。
「もっとも弱い立場にある庶民に寄り添って」
教勢を拡大していった点は、個人的に、戦後の創価学会の発展とのアナロジーをどうしても強く感じてしまいます。
公称800万世帯以上ですから、最盛期の創価学会の国内信者数割合はかなり当時のキリスト教の状態と近かったのではないかと思われます。
乱鎮圧、幕府権力による大弾圧で、キリスト教は一時日本の歴史から明治まで表面上、姿を消します。

「もっとも弱い立場にある庶民」
これが具体的にどういう方々を指すか、語るまでもないと思います。
高齢者世帯、母子家庭、傷病世帯、障害世帯、生活保護世帯、、、
近年、わが国におけるこれらの方々への社会保障の実態はどうでしょうか?
これも語るまでもなく、自明だと思います。
日本の国は真にその人々に「寄り添って」いるでしょうか?
現実の姿、眼前の「現証」は如何でしょうか?

「日本国中の諸人は仏法を行ずるに似て仏法を行ぜず」
「其の国当に種種災禍有つて国位を喪失すべし」

立正安国の戦い大勝利、等という言葉は巷間数多耳目に触れますが、
ぼくの心に刻印されている立正安国論は、島原の乱当時と現在が交錯して、
上の文章が心から離れません。
大勝利していたら、結果として
「吹く風枝をならさず雨つちくれを砕かず、代は義農の世となりて今生には不しょうの災難を払ひ長生の術を得」
ということになっている筈ですが、現実の実相はぼくの目からはまるで逆で、、、

日々の臨床でも、立正安国論で文証で取り上げられた大集経の
「衆生及び寿命・色力・威楽減じ」
が強く実感されてなりません。
町医者のただの僻目かもしれません。
現在という時代の検証・判断とこれからの未来は、賢明な読者諸氏に委ねたいと思います。

写真は長崎原爆祈念像製作者でもある北村西望による天草四郎像(原城本丸跡)。
北村西望氏は乱の現場だった南有馬のご出身です。
宗教は違えど、像で示された「祈り」の中心は変わらないと思うのです、、、
個人話も含めた長いお話におつき合い下さり、心より御礼申し上げます。

執筆者プロフィール

三木千八
三木千八
15歳の時、身内が末期がんで苦悶のうちに死んでゆく姿を目の当たりにし、基礎医学研究者になることを決意。
新潟大学理学部早期退学後、奈良先端科学技術大学院大学博士前期課程(細胞生物学専攻)修了。その後北海道大学大学院医学研究科博士課程(癌医学専攻)に進学し、同大学医学部付属癌研究施設、及び遺伝子病制御研究所にて基礎医学研究に従事。その後、臨床医学の道に転向し、博士課程中退、学士編入学を経て旭川医科大学医学部医学科卒業。卒後、北海道の中核市の基幹総合病院で臨床研修を受け、同院精神神経科勤務(緩和ケアチーム所属)、民間単科精神科病院副院長を経て、現在東京23区内で精神科・心療内科診療所を開設し、同院長。精神保健指定医。
バッハ、ベートーヴェン、ブルックナー、ショスタコーヴィチの音楽を好み、尊敬する音楽家はヴィルヘルム・フルトヴェングラーとエフゲーニ・ムラヴィンスキー。
清流や湖水での鱒釣りが心の憩いで、釣りの腕だけなら本業(精神科医)を上回っていると勝手に妄想しています。三男一女の父。東京都在住。

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