新しい天使

「『新しい天使』と題されているクレーの絵がある。それにはひとりの天使が描かれており 、天使は、かれが凝視している何ものかから、いまにも遠ざかろうとしているところのようにも見える。かれの目は大きく見ひらかれていて、口はひらき、翼は拡げられている。歴史の天使はこのような様子であるに違いない。かれは顔を過去に向けている。ぼくらであれば事件の連鎖を眺めるところに、かれはただ破局(カタストローフ)のみを見る。そのカタストローフは、やすみなく廃墟の上に廃墟を積みかさねて、それをかれの鼻っさきへつきつけてくるのだ。たぶんかれはそこに滞留して、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せあつめて組みたてたいのだろうが、しかし楽園から吹いてくる強風がかれの翼にはらまれるばかりか、その風のいきおいがはげしいので、かれはもう翼を閉じることができない。強風は天使を、かれが背中を向けている未来のほうへ、不可抗的に運んでゆく。その一方ではかれの眼前の廃墟の山が天に届くばかりに高くなる。僕らが進歩と呼ぶのは〈この〉強風なのだ。」
ヴァルター ・ベンヤミン『歴史の概念について』第九テーゼ (野村修訳)

 

ベルリンの壁が崩壊し、ペレストロイカからソ連邦解体、東欧革命。
南アフリカではネルソン・マンデラ釈放、アパルトヘイト廃止。
そんな大きな民主化の時代のうねりを感じる頃、私はイタリアに渡りました。
大学には多くの旧東欧諸国からの学生、また北ヨーロッパからの人権意識の高い学生達が留学していました。
彼らは社会や政治に強い関心を持ち、しっかりとした個人の意見を持っていました。
ぽっと出の世間知らずの私にとって、彼らとの交流は、それは世界が広がるような、とてもとても新鮮で魅力的なことでした…

あの時はこのまま時代が良くなると思っていたのに。
30年が経とうとしている今、私たちの社会は果たして「進歩」しているのでしょうか?

 

この『新しい天使』が描かれたのは1920年。第一次世界大戦が終わり、再び全体主義の蠢動が始まっていた頃です。
クレーは実験的アート&クラフトの美術学校として、今もデザイン界に大きな影響を与えている「バウハウス」の教師として迎えられます。
やがてクレーのその前衛スタイルは「退廃芸術」としてナチスに弾圧され、スイスへ亡命。バウハウスも閉校。
この絵を購入し、常に携帯したヴァルター ・ベンヤミンもユダヤ人として、亡命の途中に絶望してピレネー山中で自殺しました。(他殺説もあります。)

 

キリスト教では「天使」は神の使い、神の言葉を伝える伝令としての役目を果たします。
西洋絵画では「啓示」的な意味で登場します。
そして神の視点は常に抑圧された側、小さくされた側にあります。
その視点から示されたものなのです。

 

さて、4月25日はイタリアでは「解放記念日」です。
第二次世界大戦のドイツのナチズムとイタリアのファシズムから解放された日です。
過去から学ばないものは同じ過ちを繰り返す。
それゆえにヨーロッパはその凄惨な過去を直視し、過ちを認めてきました。

時代こそ違いますが、クレーが表現したかったこと、このベンヤミンの言葉から想起させるものは、現在私達に置かれている状況にも符号するような気がしてなりません。

年頭に友は
「今年は、ローザ・ルクセンブルクが虐殺されて100年目となります。(中略)
来年のことをいうと鬼が笑いますが、100年前のことを想起しても、鬼は笑わないでしょう。」
と述べられました。

常に時代のちょっとした変化を感じられるような感性を持ちたいですね。
そしてそれは抑圧された側に立ってからこそ生まれる感性かもしれません。

 

《強風に抗いながら身を屈めて多くの友の盾となっていた天使に捧ぐ。》

 

画像は、
パウル・クレー 『新しい天使(Angelus novus)』1920
Oil transfer and watercolor on paper 31.8 x 24.2 cm

執筆者プロフィール

セラフィーニ まり
セラフィーニ まり
いい加減だけど心優しい人達に囲まれてイタリアの片隅から、世界と日本を眺めています。

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