哲学入門9 – コラム:目を覚ますこと、酔いから覚めること、リフレインと手を切ること、それが哲学【無料】
哲学とは徹底的に自分自身で考えること、そしてその省察が他者に開かれている営みのことだが、それは「歌うようにではなく真に話すこと、目を覚ますこと、酔いから覚めること」(レヴィナス)。常に「眠りの商人」の誘惑を退けなければならない。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
哲学とは徹底的に自分自身で考えること、そしてその省察が他者に開かれている営みのことだが、それは「歌うようにではなく真に話すこと、目を覚ますこと、酔いから覚めること」(レヴィナス)。常に「眠りの商人」の誘惑を退けなければならない。
本書は国家権力を「ライオン」、憲法を「檻」と喩え、憲法の基本的な考え方を概観するが、「憲法なんて私たちの生活に関係ない」と思う人にこそ手に取ってもらいたい一冊である。
哲学は一体、何の役に立つのだろうか。役に立つという自体、実際のところ役に立たないことが多いが、それは「何のため」という意識の欠如があるからであろう。そうした根本的なところから考察するのが哲学だが、ここではその存在意義や学ぶ意義を紹介し、1章をまとめておきたい。章末に資料あり。
文系諸学が「役に立たない」として切り捨てられる現状だが、大切なことは、いったい、何のためにそれを行うのか、という意識であり、それを根本から考えるのが哲学である。本稿では哲学の存在意義と学ぶ醍醐味を紹介したい。
二元論と絶対的真理の主張で評判の悪いプラトンですが、その真意は、真実を探究せず、移ろいやすい世界や物事を絶対化させてしまうことへの警鐘だったのではないでしょうか。プラトンの説得的な構想力は、いまこそ必要とされる対話的叡智といっても過言ではありません。
政府は、企業が雇うに値する能力の向上に取り組む大学にのみ資金援助をしようと考えているが、大学はそうした能力を養う現場ではない。企業そのものが破綻しないように「専門知識に光をあてて正しい方向に導く」のが大学教育=教養教育である。「セコい」短絡的な議論が、教育を崩壊させるだけでなく、経済活動そのものまでを麻痺させてしまうのだ。
哲学とは結局「言語」をもってしか遂行し得ない営為だからこそ、例えば、「おもしろい」だとか「難しい」と思ったことを言葉として明確にして自己に向き合わせておくことが大切になってくる。「鉛筆とは何か」といった考えるまでもないと自明に思っていることを改めて点検してみることも哲学的省察への第一歩となる。
近代日本の民主主義は全て「戦後」民主主義。「今日の『戦後民主主義』の最大の課題は、それを歴史上最後の『戦後民主主義』とすることである」。
哲学とは徹底的に言語を使って遂行される営みだが、その具体的な方法、そして古代から現代へ至る主題の変遷、そしてほかの学問との関係について論述する。本稿では「何かを考える」ということの具体的なやり方を提示してみたい。
広範に共有された大きな物語が潰えた後、残ったのは、「『君が代』と線香のCMの『青雲のうた』」。近代の負荷は国家と広告(経済)と言われ、その負荷を逓減することが課題となってきて久しい。しかしながら21世紀になって、ふたたびその怪物が頭をもたげようとしている。
哲学とは「徹底的に考えぬく営み」だが、他者の存在を無視した思索とは程遠いことに留意して欲しい。独断専行で物事を思考することは、ひとつの知的営みであったとしても、それは哲学的思索では断じてない。なぜなら、哲学的思索とは、「普遍的」なるものを志向するからである。