名著を読む13 – ああ、ここに古典とか学問の力があるのだなあ【無料】
「道は近きにあり、しかるにこれを遠きに求む」とは孟子の言葉です。古典を読む意義とは、どこにあるのでしょうか。一人の女学生のエピソードから考えてみました。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
「道は近きにあり、しかるにこれを遠きに求む」とは孟子の言葉です。古典を読む意義とは、どこにあるのでしょうか。一人の女学生のエピソードから考えてみました。
宗教が人生のなかで生きているということはどういうことなのでしょう。それについて、少し考えてみました。
福澤は宗教に淡白で功利主義的理解という評価がありますが、福澤の宗教批判を腑分けすると、人間の自由と独立に欠かせないものという理解があります。丸山眞男に導かれながら福澤にとっての「宗教」を考えてみました。
「種種御振舞御書」は、とてもビジュアルイメージが湧くような、緊張感をもった、ドキュメンタリーです。まず、その光景をイメージしながら、通読してみましょう。そうすると、ある象徴的な事実が分かります。
自分の意味を求める内的空虚の苦しみとは人間にとって大きな意味をもつ経験として理解すべきだとフランクルは言う。『夜と霧』の著者による、人間の自己理解を深める飢えで示唆に富む一冊である。
震災直後、被災各地で想像を絶する「悲劇」とともに、想像を絶する「奇跡」も起こりました。岩手県の大船渡で起こった「奇跡」の話をします。直接現場に行き、何人ものかたに、おうかがいした話です。奇跡と言っても、「神仏」が起こした奇跡ではなく、人の「可能性の奇跡」です。
「私は何を知り得るか/私は何をなすべきか/私は何を希望することが許されるか」に注目することでカント哲学の骨格を描いてみました。人間は自身の限界を理解することで初めて自由な存在になれるのではないでしょうか。
日蓮大聖人が唱えた五字七字の題目、「南無妙法蓮華経」の題目って、何でしょう?もちろん、さまざまな角度からのアプローチが可能でしょう。今回は、自分自身の経験した、一つの事実から、考えてみたいと思います。
富士山、羽黒山、高野山などなど、多くの有名な山は、明治始めまで、「女人禁制」でした。
それはどのような理由からなのかを、少し考えてみます。
物語とは人が何かを理解する時の手助けになりますが、手助け以上の役割を担わされる時、それは認識や理解を妨げる足かせになってしまうのではないでしょうか。