哲学入門24 – 第3章「哲学と民主主義」 3.3 前史(3) 近代の哲学2
近代哲学の合理主義も経験主義も無限に万能な認識ではない。その限界を見定めて統合をめざすのがカントである。今回はカントの経験主義批判を取り上げ、統合の様子を見てみたい。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
近代哲学の合理主義も経験主義も無限に万能な認識ではない。その限界を見定めて統合をめざすのがカントである。今回はカントの経験主義批判を取り上げ、統合の様子を見てみたい。
日蓮大聖人の「やのはしる事は弓のちから(中略)をとこのしわざはめのちからなり」という有名なことばがあります。このことばを、どの方向に向けて展開していくか、それで、180度意味が変わります。
大相撲の地方巡業の時、土俵上で倒れた市長の救命のために、土俵にあがった女性たちに対して、「女人禁制」の「大相撲の伝統」に照らしてどうなのか、という話がありました。少し、「女人禁制」について考えてみましょう。
近代日本の人権思想史上で金字塔を打ちたてたのは、田中正造翁ですが、その実践の背景には「聖書」の思想が深く刻まれています。正造はキリスト教に入信しませんでしたが、その意味を考えてみました。
神話が政治的虚構とすれば、人々の物語とは虚構ではない。それを立ち上げるのが「レジリエンス」である。肝要なのは思考停止を退け、レディメイドの都合のいい出来合いの物語に依存しないことである。
自分と違うものを憎しむ、排除するというミソジニー(女性嫌悪)や、ゼノフォビア(外国人嫌悪)が、社会に蔓延しています。
たとえば、ニューヨークやサンパウロ、ロンドン、ベルリン、北京、釜山などの空港やターミナル駅の書店に、平積みで、『どうしようもないイギリス人』『もうフランスは破滅』『日本崩壊』とかいう本が置かれているでしょうか?
でも、日本ではそんな光景が当たり前です。
そこで、ちょっと、視点をかえて、「生活」ということから見たらどうなるのか?天才音楽プロデューサー、ダニエル・ラノアの証言を紹介します。
近代哲学の二大潮流はともに人間への注目から始まります。ルネサンスと宗教改革を経て合理主義と経験主義の隆盛、そして政治学の誕生を描写してみました。
ガーデニングの国イギリスで、新しい波が起こっています。それは、どんな「新しい」ものでしょうか?
時代を超えて読みつがれるカミュの作品に登場する反抗的人物たち。不条理に抗うことが人間の人間らしさかも知れません。
「女人禁制」ということが、相撲界を中心に話題になっていますが、ちょっと角度を変えて考えてみました。