Salt14 – 歴史的公演を支えた人は
国立劇場が、1966年(昭和41年)に出来てすぐのこと。「彦山権現誓助剱」(ひこさんごんげんちかいのすけだち)、全十一段の「たて」(=「通し」、全部を上演すること。ハイライトだけは、「みどり<見どり>」といいます)が、上演されることになりました。
何百年ぶりの復活でした。その復活を支えた人は……?
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
国立劇場が、1966年(昭和41年)に出来てすぐのこと。「彦山権現誓助剱」(ひこさんごんげんちかいのすけだち)、全十一段の「たて」(=「通し」、全部を上演すること。ハイライトだけは、「みどり<見どり>」といいます)が、上演されることになりました。
何百年ぶりの復活でした。その復活を支えた人は……?
古代ギリシアの都市国家アテナイは、言葉をもてあそぶソフィストの跋扈によって自滅する。相対主義を絶対的な金科玉条とした彼らに、本当に正しいことは何かと問い、徹底的に対峙したのがソクラテスである。本稿ではその足跡を追ってみたい。その1です。
前川喜平さんというと、「森友問題」以来、なぜか「時の人」という感じなのですが、実物のご本人は、そんなことは、どこ吹く風。ひょうひょうと、でも、とても明確に、ご自身の道を歩んでおられます。
文明開化の立役者である福澤諭吉は、西洋文明の礼賛者だったという評価がありますが、果たして正しいのでしょうか? 福澤の文明論を紐解くと、文明の本質とは、単純なイノベーションの礼賛ではないことが理解できます。
宗教的典籍が語られたときと、今とでは時代がかなり変わっています。また、宗教の言葉が生きているものならば、語られた相手によって、言葉も違って使われているでしょう。そこに注意することって、とても大事です。
ちなみに、それを完全に無視することを、「原理主義」といい、たとえば、トランプ大統領の支持基盤の一つ、アメリカのキリスト教原理主義は、『旧約聖書』の「天地創造」を歴史的事実と考え、神は、6日で、太陽も銀河系も、宇宙も、また恐竜の化石(恐竜ではなく、恐竜の化石も大地とともに作ったと考える)も、すべて作ったと、科学を否定します。
『法華経』安楽行品には、法を説かなくていい人には、法を説く必要はない、という「安楽行(安楽な修行)が説かれています。しかし、それは、『法華経』の他の品、たとえば、勧持品や不軽品と矛盾するのではないでしょうか?
「平等」と「開放性」を軸とした「西洋」そのものが没落の危機に瀕している現在、安易な東西批判を乗り越え、人間そのものを大切にする仕組みをいかに立ち上げていけばよいのか。「生の世論」(大衆民主主義)は熟議を経て「洗練された世論」(熟議民主主義)へと転換する。
ベトナム戦争当時の、大ヒット曲、’War’について、発売までのいきさつ、その後の反響について述べます。
「万物の根源とは何か」という探求から哲学は始まったが、やがてさまざまな探求をする人間そのものへ焦点が移っていく。そこで登場するのがソクラテスだが、彼を語る前にソフィストたちの動向に目を向けたい。賢いとは、一体何なのだろうか。
「如説修行抄」には、つぎのようにあります(p.503)。ーー天台云く「法華折伏・破権門理」とまことに故あるかな、然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば冬種子を下して春菓を求る者にあらずや、鷄の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪なりーー『法華経』安楽行品には、四つの安楽な修行によって、安楽な境涯を得ることができるという、とても「安楽」な仏道修行法が説かれています。これは、果たしてどうなのでしょうか?