Lwp16 – 書評:マーク・ボイル(吉田奈緒子訳)『無銭経済宣言 お金を使わずに生きる方法』紀伊國屋書店、2017年。 他者との相互依存がお金への依存を低減する
通常我々は、他者に依存しない自立した生活を範とするが、それ自体が妄想かも知れない。お金は様々な物質やサービスを数値化し、値札を貼るからお金が必要不可欠になってしまう。しかし数値化を退け、お互いに助け合うことで、お金への依存度を逓減できるのだ。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
通常我々は、他者に依存しない自立した生活を範とするが、それ自体が妄想かも知れない。お金は様々な物質やサービスを数値化し、値札を貼るからお金が必要不可欠になってしまう。しかし数値化を退け、お互いに助け合うことで、お金への依存度を逓減できるのだ。
このエセーのタイトルでもある、「塩」。塩についての、ちょっとした民俗的な話をします。
連載七回目です。農業自体が不可能と言われていた飯舘村。しかし、開拓農民を中心とする村民のちからは、それを可能とし、さらに、創意工夫で、全国最先端のコミュニティづくりも、次々と成功させていきました。そして、「日本一美しい村」となったのです。
しかし……。
「万物の根源とは何か」という探求から哲学は始まったが、やがてさまざまな探求をする人間そのものへ焦点が移っていく。そこで登場するのがソクラテスだが、彼を語る前にソフィストたちの動向に目を向けたい。賢いとは、一体何なのだろうか。
上方落語によくでてくる大阪浪速区の「赤手拭稲荷」。「赤手拭」という名前の由来を尋ねてみると、その信仰のもともとは、とても大事なことがルーツとしてあったことが分かります
なぜ「がんばっているのに上手くいかない」のか? それは自分自身に原因があるというよりも、時分自身が生きている環境にあるのではないか。がんばることは美しいと思うが、がんばる前に「ちょっと考えたい」。
そもそも、農業が困難だった飯舘村の地に、戦後開拓で入ってきた人は、豊かな土地を膨大な労苦によって育てていきました。そして、さまざなアイデアで、村のコミュニティをも、育てていきました。飯舘村は、コミュニティづくりで、全国の最前線に躍り出たのです。連載六回目です。
なぜ、優秀な人材が、道理のみならず、法令まで無視して、権力への忖度を続けるのだろうか。それが結果として国民を欺く暴挙(=公僕としての自らのレゾン・デートル自体を否定することともイコール)になろうとも。
ダニエル・バレンボイムというクラシック界の巨匠の長い、個人的な行動を顧(かえり)みて、私自身を省(かえり)みようと思います。
神話や宗教的権威に頼らず、考えたり悩んだりする人間の力によって世界を理解しよう――人々がそう思ったとき、哲学は誕生しました。世界認識や人間理解への問いを転換した哲学の誕生の意義について考えてみました。