freak13 – 安楽行品にまつわる問題/如説修行抄 1/2【無料】

「如説修行抄」には、つぎのようにあります(p.503)。ーー天台云く「法華折伏・破権門理」とまことに故あるかな、然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば冬種子を下して春菓を求る者にあらずや、鷄の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪なりーー『法華経』安楽行品には、四つの安楽な修行によって、安楽な境涯を得ることができるという、とても「安楽」な仏道修行法が説かれています。これは、果たしてどうなのでしょうか?

freak12 – 訪れる神楽

東日本大震災で大きな打撃を受けた岩手県沿岸には、とても珍しい「神楽」があります。「廻り神楽」です。普通、神楽は神社に奉納されるもの。でも、この神楽は、家々を回るのです。どういう神楽でしょうか?また、なぜ、回るのでしょうか?

freak10 – 橋を超えて

京都の北、岩倉には「目なし橋」(差別的な言葉ですが、固有名詞であり、またその歴史をこれから語りたいので、そのままにします)という橋があります。
この橋の北側には、差別を受けた人たちが、また、その身内が、何とか生き抜こうとした歴史的痕跡が刻まれています。

freak9 – 文証より実証 鉄眼の生涯

東日本大震災以降、東北の、まさに「現地」「現場」に通うようになって、今までの自分の「言説」に空虚さを感じるようになりました。いかに口で立派なことを語っても、実際、死ぬような思いをした人には届かない。むしろ、黙って横にいることのほうが、「高み」から高説を垂れるより、はるかに人を「支える」ことだと思いました。
リーダーは必要ない、必要なのは「サポーター」だと、思うようになりました。
僕が住む大阪の、1人の先例を紹介します。

freak7 – 「不祥」って”かなり”のことば/寂日房御書 2/2【無料】

日蓮大聖人の「寂日房御書」にこういう一節があります。
「法華経の行者といはれぬる事はや不祥なり、まぬかれがたき身なり」とあります。「不祥」という言葉が、当時、どのような響きを持っていたのか、それを知ると、この一節のもつ、切迫感がより迫ってきます。

freak6 – 四人の反乱/寂日房御書 1/2【無料】

日蓮大聖人の「寂日房御書」には、過去の勇気ある人の例として、樊噲・張良・平将門・藤原純友の4人の名前が挙がっています。この模範とすべき、4人とはどんな人であったか、それを考えると、日蓮大聖人の視座、どこから物をみていたか、が、分かります。

freak4 – 第二回 「随自意」って「自己中」?/諸経と法華経と難易の事 2/2【無料】

「随自意」と「随他意」、この言葉自体は、『法華経』原典にはありません。中国に経典が伝わってきたとき、それぞれ違う時代に作られた経典が、釈尊が語ったとされている。中身は矛盾している場合もある、その難問への答えとして、「随自意」「随他意」という区分は考えられました。それを、もう一度、釈尊一人の人生ではなく、釈尊以来の経典制作の歴史という視点で考えると、別の理解ができます。