freak10 – 橋を超えて

京都の北、岩倉には「目なし橋」(差別的な言葉ですが、固有名詞であり、またその歴史をこれから語りたいので、そのままにします)という橋があります。
この橋の北側には、差別を受けた人たちが、また、その身内が、何とか生き抜こうとした歴史的痕跡が刻まれています。

freak9 – 文証より実証 鉄眼の生涯

東日本大震災以降、東北の、まさに「現地」「現場」に通うようになって、今までの自分の「言説」に空虚さを感じるようになりました。いかに口で立派なことを語っても、実際、死ぬような思いをした人には届かない。むしろ、黙って横にいることのほうが、「高み」から高説を垂れるより、はるかに人を「支える」ことだと思いました。
リーダーは必要ない、必要なのは「サポーター」だと、思うようになりました。
僕が住む大阪の、1人の先例を紹介します。

freak7 – 「不祥」って”かなり”のことば/寂日房御書 2/2【無料】

日蓮大聖人の「寂日房御書」にこういう一節があります。
「法華経の行者といはれぬる事はや不祥なり、まぬかれがたき身なり」とあります。「不祥」という言葉が、当時、どのような響きを持っていたのか、それを知ると、この一節のもつ、切迫感がより迫ってきます。

freak6 – 四人の反乱/寂日房御書 1/2【無料】

日蓮大聖人の「寂日房御書」には、過去の勇気ある人の例として、樊噲・張良・平将門・藤原純友の4人の名前が挙がっています。この模範とすべき、4人とはどんな人であったか、それを考えると、日蓮大聖人の視座、どこから物をみていたか、が、分かります。

freak4 – 第二回 「随自意」って「自己中」?/諸経と法華経と難易の事 2/2【無料】

「随自意」と「随他意」、この言葉自体は、『法華経』原典にはありません。中国に経典が伝わってきたとき、それぞれ違う時代に作られた経典が、釈尊が語ったとされている。中身は矛盾している場合もある、その難問への答えとして、「随自意」「随他意」という区分は考えられました。それを、もう一度、釈尊一人の人生ではなく、釈尊以来の経典制作の歴史という視点で考えると、別の理解ができます。

freak3 – 無仏の時代の私のありかた/諸経と法華経と難易の事 1/2【無料】

『法華経』は、仏が入滅したあとの「無仏の時代」に、自分はどう生きるべきかを、熟慮した人たちが創作したものです。どう生きるべきか――それは仏がなしてきた行いを、自分もなしていくということを、「仏教の本質」と考えて、それを具体的に実践していくことです。

freak2 – カギはマイケル

誰もが耳にしたことがあるでしょう「漕げよマイケル」。この曲の意味を考えるときの「カギ」は、「マイケル」です。
子どものための歌のように聴こえるこの歌に、深い宗教的、歴史的意味が隠されているのです。