freak51 – 種・熟・脱をめぐって(その2)
日蓮教学で「種・熟・脱」というのがあります。二つのフェイズがあるのに、しばしば二つのが混同されています。
このあたりの違いを、少し解きほぐしたいと思っています。第二回目です。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の’If 6 was 9’の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
もとは、彼の1967年の(UK、アメリカでは翌年1月)のアルバム”Axis: Bold as Love”の中の一曲ですが、映画「イージー・ライダー」の中でとても印象的に使われました。
1967年といえば、大学紛争やベトナム反戦運動などの「異議申し立て」が全世界に広がっていたころ。若者たちは、「ティーチイン」と言って、そこら中に座り込んでは、議論を戦わせていました。
また、既成の生き方から離れて(ドロップ・アウト)、ヒッピーなどの「違う生き方」を目指す動きも広範にありました。
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。
日蓮教学で「種・熟・脱」というのがあります。二つのフェイズがあるのに、しばしば二つのが混同されています。
このあたりの違いを、少し解きほぐしたいと思っています。第二回目です。
天台大師智顗の『妙法蓮華経玄義(法華玄義)』の第一巻にこんな文章が出てきます。 「教相為三 一 根性融不融相 二 化導始終不始終相 三 師弟遠近不遠近相」 仏典は、さまざまな時代に、さまざまな人々によって創 …
よく、「文上読み」「文底読み」ということばが出てきます。それについて「原理主義」という宗教学の概念を補助線にしながら考えたいと思います。
「衆生所遊楽御書」とも言われる「四条金吾殿御返事」。多くの人々が暗記した御書です。その御書のなかで、最も有名な御文、多くの人たちが知らず知らずに暗記した御文「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへ・ゐさせ給へ」を見ていきます。
日蓮大聖人の御書に、ご自身が”辺土の漁師”であったという記述が散見されます。この「漁師」ということばですが、今の常識で読んでいたら、何か、大間のマグロ漁師とか、『ザ!鉄腕!DASH!!』のDASH!!海岸にでてくる漁師さんとか思いだすかもしれません。でも、鎌倉時代の漁師さんってどういうものだったでしょうか?
「衆生所遊楽御書」とも言われる「四条金吾殿御返事」。多くの人々が暗記した御書です。この御書について、違った角度から見てみたいと思います。
まさに、「臨床の場」の「こちら側」にいるので、いろんなことが見えてきますね。とても、貴重な経験です。
夏から秋にかけては、日本近・現代仏教の特徴とも言える、「お盆」「お彼岸」の時期がきて、お墓参りとかされる人も多いかと思います。その時、立派なお坊さんに来てもらって、「廻向」してもらう。では、廻向ってなんでしょう。
突然「リハビリ」に入ってしまいました。読者の皆様にはご迷惑をおかけしますが、まあ珍しい「時」に出くわしてしまったと、御寛恕のほどを。一回一回が短いかもですが、それも御寛恕を。
東日本大震災の後、信徒数が激増し、しかも平均年齢が若返ってたキリスト教の教会の話をします。
それはキリスト教だからとか、また宗教だからとかいうような問題でなく、地域や団体が大事にしなければならないことについて、多くの示唆を与えてくれます。