freak41 – 「過去世の仏」は「今の私」
仏の過去世の姿を描いた典籍がたくさんあります。「本生譚」と言われます。それは、過去世に、こんなたくさんの修行をしてきたんだ、歴劫修行だ、ということをいうための典籍ではありません。それは、いろんな人が、それぞれの思いで作ったものが、後に経典になったり、ある経典の一部に入ったりしたものです。
でも、その多くは一つのことを言いたいがために、創作されました。それは。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の’If 6 was 9’の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
もとは、彼の1967年の(UK、アメリカでは翌年1月)のアルバム”Axis: Bold as Love”の中の一曲ですが、映画「イージー・ライダー」の中でとても印象的に使われました。
1967年といえば、大学紛争やベトナム反戦運動などの「異議申し立て」が全世界に広がっていたころ。若者たちは、「ティーチイン」と言って、そこら中に座り込んでは、議論を戦わせていました。
また、既成の生き方から離れて(ドロップ・アウト)、ヒッピーなどの「違う生き方」を目指す動きも広範にありました。
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。
仏の過去世の姿を描いた典籍がたくさんあります。「本生譚」と言われます。それは、過去世に、こんなたくさんの修行をしてきたんだ、歴劫修行だ、ということをいうための典籍ではありません。それは、いろんな人が、それぞれの思いで作ったものが、後に経典になったり、ある経典の一部に入ったりしたものです。
でも、その多くは一つのことを言いたいがために、創作されました。それは。
東日本大震災から7年の歳月を見てきて、「強いリーダー」のところが、発災当初は物事が迅速に進むように見えました。ところが、二年、三年経つうちに、そういう自治体、企業、団体に、現場のニーズと齟齬が目立つようになりました。これは、驚くほど明白でした。予算分配が、結局、非効率となり、しかも必要としている人に届かない。発災当初、とても、ありがたい示唆を、ある「現場のかた」からいただきました。その「示唆」について述べます。
震災や病気などの当事者を支援するとき、あまりこちらが手を貸すと、結局、当事者を「被害者」「被災者」的立場に落としてしまう、と言われます。
もちろん、ネットのヘイトのように、「甘えるな!」というのは、論外です。では、どのような支援がいいのか。ちょっと考えてみました。
「種種御振舞御書」には、「わたうども二陣・三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ、天台・伝教にもこへよかし」とあります。日蓮大聖人が弟子たちに、私に続いてくれ、私の跡を継いでくれ、と訴えられた一文です。では、どのような跡を継げば?
宗教が人生のなかで生きているということはどういうことなのでしょう。それについて、少し考えてみました。
「種種御振舞御書」は、とてもビジュアルイメージが湧くような、緊張感をもった、ドキュメンタリーです。まず、その光景をイメージしながら、通読してみましょう。そうすると、ある象徴的な事実が分かります。
日蓮大聖人が唱えた五字七字の題目、「南無妙法蓮華経」の題目って、何でしょう?もちろん、さまざまな角度からのアプローチが可能でしょう。今回は、自分自身の経験した、一つの事実から、考えてみたいと思います。
富士山、羽黒山、高野山などなど、多くの有名な山は、明治始めまで、「女人禁制」でした。
それはどのような理由からなのかを、少し考えてみます。
例の「女人禁制」事件以来少し、大相撲について、少し考えていました。そのなかで、思いだしたことがあります。それは「国技館」のことです。「国技」という名詞が先にあり、「国技館」ができたのではなく、「国技館」ができて、「国技」という言葉ができたのです。
日蓮大聖人の「やのはしる事は弓のちから(中略)をとこのしわざはめのちからなり」という有名なことばがあります。このことばを、どの方向に向けて展開していくか、それで、180度意味が変わります。