freak18 – 「鳴かず飛ばず」で行こう!

「鳴かず飛ばず」という慣用句があります。例えば、「芸人のAさんは、10年以上も『鳴かず飛ばず』。売れない芸人でしたが、『B』という番組をきっかけに売れ出し」云々というように、よく使われますね。
でも、もともと「鳴かず飛ばず」は、まったく違う意味だったのです。

freak17 – 正像末と末法為正

正法・像法・末法という、いわゆる「三時」というのが、日本仏教ではしばしば語られます。でも、数字がつく仏教概念(法数、ほっすう)は、経典解釈者が、後の時代に便宜的に作ったものであることが多いのです。
大学院で、仏教論理学の文献講読の授業で、担当教授が言った言葉が忘れられません。「法数は、生き生きとした生活の言葉ではなく、『これテストに出るぞ!』という便宜的な言葉です」

freak15 – 聖書のことば、経典のことば

宗教的典籍が語られたときと、今とでは時代がかなり変わっています。また、宗教の言葉が生きているものならば、語られた相手によって、言葉も違って使われているでしょう。そこに注意することって、とても大事です。
ちなみに、それを完全に無視することを、「原理主義」といい、たとえば、トランプ大統領の支持基盤の一つ、アメリカのキリスト教原理主義は、『旧約聖書』の「天地創造」を歴史的事実と考え、神は、6日で、太陽も銀河系も、宇宙も、また恐竜の化石(恐竜ではなく、恐竜の化石も大地とともに作ったと考える)も、すべて作ったと、科学を否定します。

freak13 – 安楽行品にまつわる問題/如説修行抄 1/2【無料】

「如説修行抄」には、つぎのようにあります(p.503)。ーー天台云く「法華折伏・破権門理」とまことに故あるかな、然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば冬種子を下して春菓を求る者にあらずや、鷄の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪なりーー『法華経』安楽行品には、四つの安楽な修行によって、安楽な境涯を得ることができるという、とても「安楽」な仏道修行法が説かれています。これは、果たしてどうなのでしょうか?

freak12 – 訪れる神楽

東日本大震災で大きな打撃を受けた岩手県沿岸には、とても珍しい「神楽」があります。「廻り神楽」です。普通、神楽は神社に奉納されるもの。でも、この神楽は、家々を回るのです。どういう神楽でしょうか?また、なぜ、回るのでしょうか?

freak10 – 橋を超えて

京都の北、岩倉には「目なし橋」(差別的な言葉ですが、固有名詞であり、またその歴史をこれから語りたいので、そのままにします)という橋があります。
この橋の北側には、差別を受けた人たちが、また、その身内が、何とか生き抜こうとした歴史的痕跡が刻まれています。

freak9 – 文証より実証 鉄眼の生涯

東日本大震災以降、東北の、まさに「現地」「現場」に通うようになって、今までの自分の「言説」に空虚さを感じるようになりました。いかに口で立派なことを語っても、実際、死ぬような思いをした人には届かない。むしろ、黙って横にいることのほうが、「高み」から高説を垂れるより、はるかに人を「支える」ことだと思いました。
リーダーは必要ない、必要なのは「サポーター」だと、思うようになりました。
僕が住む大阪の、1人の先例を紹介します。