Lwp40 – 書評:姜克實『近代日本の社会事業思想―国家の「公益」と宗教の「愛」』ミネルヴァ書房。
国家(公益)と宗教(愛)の関係に注目し近代日本の社会事業の足跡をたどる本書は、震災以降、宗教者の支援活動が直面している問題をもあぶり出す労作である。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
国家(公益)と宗教(愛)の関係に注目し近代日本の社会事業の足跡をたどる本書は、震災以降、宗教者の支援活動が直面している問題をもあぶり出す労作である。
近代哲学の合理主義も経験主義も無限に万能な認識ではない。その限界を見定めて統合をめざすのがカントである。今回はカントの経験主義批判を取り上げ、統合の様子を見てみたい。
近代日本の人権思想史上で金字塔を打ちたてたのは、田中正造翁ですが、その実践の背景には「聖書」の思想が深く刻まれています。正造はキリスト教に入信しませんでしたが、その意味を考えてみました。
神話が政治的虚構とすれば、人々の物語とは虚構ではない。それを立ち上げるのが「レジリエンス」である。肝要なのは思考停止を退け、レディメイドの都合のいい出来合いの物語に依存しないことである。
近代哲学の二大潮流はともに人間への注目から始まります。ルネサンスと宗教改革を経て合理主義と経験主義の隆盛、そして政治学の誕生を描写してみました。
時代を超えて読みつがれるカミュの作品に登場する反抗的人物たち。不条理に抗うことが人間の人間らしさかも知れません。
倫理学は身近なものごとへ注目することから始まりますが、案外、身近なものごとを見落としすぎているのではないでしょうか? あえて注目することで知らなかったことが見えてくるものです。
学問で重要なことは、大学や学問の制度や母国といった「ヤシガラ椀」の外に出ることであるが、これは全ての人間現象に当てはまる萃点である。『想像の共同体』著者の自伝的名著は、しびれる一冊である。
西洋近代哲学は存在論から認識論への転回として始まった。その二大潮流が大陸合理論とイギリス経験論である。権威によらず理性と経験によって真理を探求するこの二つの試みはやがてカントによって統合される。
近代日本の文壇は「人々に差別されつつ、人々を差別し返すという性格を刻印された小社会」という指摘がありますが、このルサンマンの複合汚染が、変革のできない日本的精神風土を形成しているのではないでしょうか。