Lwp23 – 宗教百話(1) 「人の生くるはパンのみに由るにあらず」「豚に真珠」という言葉を知っていますか?
専門のキリスト教学・宗教学のコラムを始めました。最初は言葉の話題です。私たちに馴染み深い諺は実は聖書に由来しますが、その意義を考えてみようと思います。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
専門のキリスト教学・宗教学のコラムを始めました。最初は言葉の話題です。私たちに馴染み深い諺は実は聖書に由来しますが、その意義を考えてみようと思います。
高橋源一郎のオルタナティブを創造せんとする、人びとを繋ぐ「ことば」への復興という試みは、党派性を超えた、人間主義の探求であるのではないか。「ぼくたちは、ぼくたちの『民主主義』を自分で作らなきゃならない」。
ソフィストと対峙したソクラテスは、対話によって普遍的真理を探求しようとしました。では、対話とは私たちにとって一体どんな意味があるのでしょうか。
ミルにとって自由とは人間の個性を開発し喚起し、それによって人間が相互に一層価値あるものとなる概念でした。今回は、そのマニフェストといってよい『自由論』をフーコーを先取りする「権力論」として取り上げてみます。
「人の良いオッチャンや、優しそうなオバハンや、礼儀正しい若者」たちは、事実とは異なる神話をもとにした外国人に対する「心のなかに潜む小さな憎悪」を持っている。だとすれば「ふつーの日本人」は、ヘイトスピーカーたちと地続きかも知れない。
市民が自由に集い、図書を媒介に会話を楽しんだり、時には結婚式や市民討論が開かれたり…。図書を介して新しい考え方や生き方に触れることもあるだろう。カルティベイトできる「知の広場」こそ図書館である。
古代ギリシアの都市国家アテナイは、言葉をもてあそぶソフィストの跋扈によって自滅する。相対主義を絶対的な金科玉条とした彼らに、本当に正しいことは何かと問い、徹底的に対峙したのがソクラテスである。本稿ではその足跡を追ってみたい。その1です。
文明開化の立役者である福澤諭吉は、西洋文明の礼賛者だったという評価がありますが、果たして正しいのでしょうか? 福澤の文明論を紐解くと、文明の本質とは、単純なイノベーションの礼賛ではないことが理解できます。
「平等」と「開放性」を軸とした「西洋」そのものが没落の危機に瀕している現在、安易な東西批判を乗り越え、人間そのものを大切にする仕組みをいかに立ち上げていけばよいのか。「生の世論」(大衆民主主義)は熟議を経て「洗練された世論」(熟議民主主義)へと転換する。
「万物の根源とは何か」という探求から哲学は始まったが、やがてさまざまな探求をする人間そのものへ焦点が移っていく。そこで登場するのがソクラテスだが、彼を語る前にソフィストたちの動向に目を向けたい。賢いとは、一体何なのだろうか。