哲学入門74 – コラム:「答えのない学び」という喜び
このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。→ ログイン. 会員登録はお済みですか? 会員について
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。→ ログイン. 会員登録はお済みですか? 会員について
このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。→ ログイン. 会員登録はお済みですか? 会員について
ここ数年、考えていたことなので、自由に書いてみてもよろしいでしょうか? ……ってことで、その考えるヒントになったのは、哲学者の鷲田清一さんが『朝日新聞』に連載している「折々のことば」(2018年10月15日付1面)です。 …
今回はヴェーバーの学問論を取り上げます。「学問の領域で『個性』をもつのは、その個性ではなくて、その仕事(ザッへ)に仕える人のみである」。ヴェーバーの指摘は、学問を越え、あらゆる分野に当てはまる黄金律かも知れません。
政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり抜いていく作業である--。政治に関わる人間の資質と覚悟を論じたヴェーバーの古典的名著は、決して色褪せることのない時代を不断に更新し続ける指針かも知れません。
学問で重要なことは、大学や学問の制度や母国といった「ヤシガラ椀」の外に出ることであるが、これは全ての人間現象に当てはまる萃点である。『想像の共同体』著者の自伝的名著は、しびれる一冊である。
「一つの宗教しか知らない者は、いかなる宗教も知らない」という言葉がありますが、宗教についての基本的な情報を提供する宗教学こそ、21世紀を生きる誰もが学ぶべき学問です。その理由を考えてみました。
文系学部を廃止して実学教育に力を入れろという大学教育改革論。実学の元祖・福澤諭吉がこのことを聞いたらどう思うでしょうか? 丸山眞男を導きの糸にしながら考えてみました。