『戦場のピアニスト』のヴィルム・ホーゼンフェルト大尉、『ヒトラー最期の12日間』のフェルマン・フェーゲライン中将といえば、ドイツの名優トーマス・クレッチマンを思い出す人は多いだろう。
クレッチマンは旧東ドイツの出身で、19歳で西側への亡命を果たした。このとき彼は、指の一部を切断している。命がけの脱出だった。
ホーゼンフェルト(ナチの信奉者だったが、その後、ポーランド人を助けたりもし、最後はソ連の収容所で死亡)の役では、セリフがないときのほうが多くを語っているように感じたし、フェーゲライン(親衛隊将校で、ヒトラーの恋人エバ・ブラウンの義弟でもあったが、最後は処刑された)の役では、人間というものの複雑さを静かに演じた。個人的には、とてもドイツ人らしい俳優だと思って見ていた。
その彼が、韓国映画『タクシー運転手』で、実在のジャーナリスト、ユンゲル・ヒンツペーターの役を演じた。ヒンツペーターは、1980年の光州虐殺を世界に伝えたジャーナリストの一人だ。
この光州虐殺を踏み台に、全斗煥が大統領にのし上がってきた。当時、日本では光州の状況を知るすべはほとんどなく、岩波の「世界」が唯一の情報源だったと言っていい。東京都荒川区の公会堂で開かれた、光州における虐殺を阻止する集会に参加したときは、立ち見も出て溢れんばかりの人だった。
このとき壇上で、韓国軍の指揮命令をしているのは米軍であるため、米軍の少将が殺戮に許可を出しているという報告がなされ、政治のことは分からないながら、アメリカは支配地域の民が民主主義を求めることは許さないのだな、と思った。結局、日本の植民地から米国の植民地になっただけなんだという、言葉にならない感情が溢れた。
民主化後に光州に行き、殺された200名近い人たちの墓地を訪れた時、幼い子どもたちの墓石もあるのを見て、これが無差別虐殺だったことを確信した。(この当時も、公式には墓地には入ることが許されていなかっ
た。)
韓国内では長い間、これらの虐殺のことは、知ってはいても口に出すことは許されなかった。それが、韓国の民主主義の成熟と共に、映画化されて、大ヒットとなり、ドイツでも見る機会を得た。
この映画は、韓国国内で取材をすることは命がけだった当時、ドイツ人ジャーナリストが日本経由で入国し、たまたま移動の足に使ったタクシーの運転手と一緒に命がけの取材をし、世界にその実情を伝えたという実話を元にしている。
当時、韓国軍の無差別殺戮に対抗して、地元のタクシー運転手らが、生活の糧であるタクシーを弾除けにして人々の闘いの最前線に立ったことはよく知られていた。しかし、再現とはいえ、これを映像で見たときの感動は、息ができないほどだった。
また、真実を伝えてほしいと願う民衆が、自らを犠牲にしてまでドイツ人ジャーナリストを無事に国外に送り出そうとした姿は、今の紛争地域の人々と同じだった。
ソン・ガンホ演じるソウルのタクシー運転手がなんとも当時の韓国人らしくて、また、光州のタクシー運転手役のユ・ヘジンがいい。彼の、市井の民を演じたときの力量の高さには唸らされるものがある。もう、見るだに「いるいる、あるある」の連続なのだ。
最後には殺される光州の大学生役のリュ・ジュンヨルも、80年当時の韓国の大学生が生き返ったかのようで、その素朴さが見る者にさらなる胸の痛みを与える。
軍事独裁政権の酷さ、分断国家の悲劇、そして、常に差別の対象とされてきた全羅道(光州)の人々へのいわれなき無差別殺戮。この映画は、彼らの日常の生活を丁寧に描くことで、その悲劇の大きさを見事に伝えていた。
そこに、あの、語らずして伝える名優クレッチマンの姿が重なることで、韓国映画で外国人俳優が演技する違和感を見事に吹き飛ばしていた。光州の病院で呆然とする記者の姿は、言葉がないことで逆に殺戮の残酷さを鮮烈に伝えた。
同時に、この映画は、ジャーナリストの役割、その社会的責任とは何か、という問いへの答を示していたように思う。
殺戮は見えないところで起きる。見せないように起きる。そして、殺す側は、いつもその事実を隠蔽する。だからこそ、国境を超えるジャーナリストが必要なのだ。
映画『タクシー運転手』は、娯楽性を保ちながら、見事に、民主主義とはどのように勝ち取るものなのかを教えてくれている。
(マスコミ市民’18年12月号より転載)
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