インドの傑出した仏教詩人マートリチェータ(紀元二世紀ごろ)は、『百五十讃』というゴータマ・ブッダに捧げた詩の中で、こう記しています。
盲亀浮木とたとえよう
生まれがたき人間に私は生まれてきた
人間だからこそこの上ない教えを学ぶよろこびを感じることができる
ゆえに
私の言葉がつたなくても
要領をえないものであっても
私は(ゴータマ・ブッダを語る)言葉を実のあるものにして、残したい
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。