FF9 – 「故郷」をつくること 「故郷」を失うこと——飯舘村・浪江町の、もう一つの歴史(その9)

連載九回目、最終回です。自分たちで作った村、そして、「日本一美しい村」まで育て上げた村。それがフレコンで有名になってしまいました。
村民のこころは揺れます。帰るべきか、実際はほとんど除染はなされていないので、帰らざるべきか。
そして、私たちは、どのように行動すべきなのでしょうか。

FF7 – 「故郷」をつくること 「故郷」を失うこと——飯舘村・浪江町の、もう一つの歴史(その7)

連載七回目です。農業自体が不可能と言われていた飯舘村。しかし、開拓農民を中心とする村民のちからは、それを可能とし、さらに、創意工夫で、全国最先端のコミュニティづくりも、次々と成功させていきました。そして、「日本一美しい村」となったのです。
しかし……。

FF6 – 「故郷」をつくること 「故郷」を失うこと——飯舘村・浪江町の、もう一つの歴史(その6)

そもそも、農業が困難だった飯舘村の地に、戦後開拓で入ってきた人は、豊かな土地を膨大な労苦によって育てていきました。そして、さまざなアイデアで、村のコミュニティをも、育てていきました。飯舘村は、コミュニティづくりで、全国の最前線に躍り出たのです。連載六回目です。

FF5 – 「故郷」をつくること 「故郷」を失うこと——飯舘村・浪江町の、もう一つの歴史(その5)

今回は、浪江町とどもども、原発から離れていたけれど、「警戒区域」に入り、さらに今も「帰還困難区域」を村内に有する浪江町についての、開拓の歴史をひも解きます。資料を見ていたら、知り合いの仲間の名前があちこちにでてきたりして、胸が痛いです。これだけがんばってきたのに。(連載第五回目)

FF4 – 「故郷」をつくること 「故郷」を失うこと——飯舘村・浪江町の、もう一つの歴史(その4)

第四回目です。浪江町、飯舘村などの、原発から離れて町づくり、村づくりを置きなってきた地域の歴史について、その開拓の始まりの苦労を述べてきましたが、今回は、その後の開拓の労苦、そもそも、その地が農耕について、とても困難を伴う場所であったこと、などについて述べます。また、国家によって捨てられた人々=棄民の歴史を考えたいと思います。