本抄は、「断簡」つまり、切れた手紙の一部で、短いので全文を、まず書きましょう。
米穀も又又かくの如し、同じ米穀なれども謗法の者をやしなうは・仏種をたつ命をついで弥弥強盛の敵人となる、又命をたすけて終に法華経を引き入るべき故か、又法華の行者をやしなうは慈悲の中の大慈悲の米穀なるべし、一切衆生を利益するなればなり、故に仏舎利変じて米と成るとは是なるべし、かかる今時分人をこれまでつかはし給う事うれしさ申すばかりなし、釈迦仏・地涌の菩薩・御身に入りかはらせ給うか。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。