FF3 – 「故郷」をつくること 「故郷」を失うこと——飯舘村・浪江町の、もう一つの歴史(その3)
連載第三回目です。福島第一原発事故で、大きな被害を被った地域が、実は、戦後開拓で、必死の思いで、つくられた場所でした。今回は、その「必死の思い」、「どのようなご苦労」が、開拓に伴ったかを記します。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
福島に通い続けています。友人や仲間もたくさんできました。
でも、福島については、最初の段階からそこに住む人々について、また、その人たちの「思い」について、見過ごされてきたという気持ちがぬぐえません。放射線量とかの数値が。確かに、数値も大事なんですが、人を忘れてはいけないと思うんです。
「福島にまだ住み続けているなんて、おかしい」とかいう反原発の人の声も、時々、目にします。
でも、原発事故の被害者のかたがたが、もっとも「反原発の証人」ではないかと思うのです。その人たちの気持ちを少しでも自分のものとすることが、一番最初になすべきことではないかと思うのです。
それで、FUKUSIMA FACTと題して、そこに住む人たちの”FACT”を考えたいと思います。
連載第三回目です。福島第一原発事故で、大きな被害を被った地域が、実は、戦後開拓で、必死の思いで、つくられた場所でした。今回は、その「必死の思い」、「どのようなご苦労」が、開拓に伴ったかを記します。
今回の原発事故で、この前まで「警戒区域」になっていた場所、またまだ「帰還困難区域」になっている場所を見ると、考えないとあかん事実が浮かび上がってきます。もちろん、福島第一原発の立地地、大熊町・双葉町は当然なんですが、そこから「あの日」の南東の風に乗って、阿武隈山系に、少し距離的には原発から離れているのにもかかわらず、高濃度汚染地域が南東から北西にかけて広がりました。
そして、その地域は……。その地域がどんな地域だったかを知れば、この事故の根深さが、よく分かると思います。連載二回目です。
福島に通い続けています。友人や仲間もたくさんできました。
でも、福島については、最初の段階からそこに住む人々について、また、その人たちの「思い」について、見過ごされてきたという気持ちがぬぐえません。放射線量とかの数値が。確かに、数値も大事なんですが、人を忘れてはいけないと思うんです。
「福島にまだ住み続けているなんて、おかしい」とかいう反原発の人の声も、時々、目にします。
でも、原発事故の被害者のかたがたが、もっとも「反原発の証人」ではないかと思うのです。その人たちの気持ちを少しでも自分のものとすることが、一番最初になすべきことではないかと思うのです。
それで、FUKUSIMA FACTと題して、そこに住む人たちの”FACT”を考えたいと思います。九回連載の一回目です。