freak76 – 母から生まれた
「男女共同参画社会」が叫ばれて長いのに、なかなかそうはなっていかない日本の社会です。それどころか、橋下徹前市長、元知事時代から、維新大阪市政、大阪府政は、「男女共同参画センター」の廃止を叫び、実際、多くの市民の「無関心の …
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
「男女共同参画社会」が叫ばれて長いのに、なかなかそうはなっていかない日本の社会です。それどころか、橋下徹前市長、元知事時代から、維新大阪市政、大阪府政は、「男女共同参画センター」の廃止を叫び、実際、多くの市民の「無関心の …
神話が政治的虚構とすれば、人々の物語とは虚構ではない。それを立ち上げるのが「レジリエンス」である。肝要なのは思考停止を退け、レディメイドの都合のいい出来合いの物語に依存しないことである。
上田俊成の『雨月物語』は、一般的には妖怪変化の類いがでてくるあやかしの文学作品と思われていますが、貧困と身体障がいのなか、苦労をし、また、時には、放蕩の限りを尽くし、また、上方の医師であり、有名な文化人のパトロンであった木村蒹葭堂のサロンに出入りし、本居宣長を痛切に批判した上田秋成が、単なるあやかしを書くはずはありません。そこには、合理的社会批評の目がありました。今回は、『雨月』の一節から、「前世の業」とかいうものは、仏教としてもおかしいぞ、という、秋成の宿業論批判をご紹介します。