freak58 – アバヤ王子への答え 仏教とジャイナ教の対話(その1)
のつづき
ゴータマ・ブッダは、ジャイナ教の教祖、ニルグランタ(マハービラ)のような、一見、徹底した自己否定的に見える考え方にも、「私への執着(tṛṣṇā、taṇhā、ātma-grāha)」がある、と考えていました。
つまり、そこには「私が解放されれば終わり」という、根本的な我執があるのです。
では、どのようにしたら、その「我執」から解放されるのでしょうか?
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
freak58 – アバヤ王子への答え 仏教とジャイナ教の対話(その1)
のつづき
ゴータマ・ブッダは、ジャイナ教の教祖、ニルグランタ(マハービラ)のような、一見、徹底した自己否定的に見える考え方にも、「私への執着(tṛṣṇā、taṇhā、ātma-grāha)」がある、と考えていました。
つまり、そこには「私が解放されれば終わり」という、根本的な我執があるのです。
では、どのようにしたら、その「我執」から解放されるのでしょうか?