2045 #5 – ヒロシマを世界に【無料】

無言のまま原爆資料館の本館出口から姿を現したセイキは、東館のチケットカウンターにまた戻っていく。そのフロアに来館記念の土産売場があったからである。Tシャツやキーホルダーなど、ヒロシマをあしらったデザインの土産物が数多く陳列されている。他所の観光名所と一線を画するのが、書籍コーナーである。絵本から専門書まで原爆の歴史を紹介した書籍タイトルが多様に並べられていた一角に目を開いた。

今回で終わりか、いや、またいつ来れるか判らない。そんな思いでセイキは原爆資料館の展示物が掲載された図録を手に取り、レジで会計を済ませた。タイトルは『ヒロシマを世界に』(広島平和記念資料館「図録」)。何気なく手に取った一冊であったが、そのキャッチコピーに込められた広島市民の深淵なる想いを、彼は後に識ることとなる。

その日の夜は、大阪の大学時代の学友と再会する約束となっていた。実家の稼業を継いだ友が八丁堀に予約した鉄板焼屋に行くと、偶然にも同じタイミングで堺市から妻子を連れて広島観光に訪れていたもうひとりの学友も同席するサプライズを迎えた。大阪時代の思い出を酒の肴に男3人が語り合う。堺の学友は言葉を覚えたての長男を連れてきて、広島の学友も間もなく第一子の誕生を控えて父親になる準備に入っていた。そうした将来のアテもないセイキは、お猪口にちびちびと加賀鶴を注いで呑むばかりであった。

解散の間際、セイキは原爆資料館に行ったことを話した。購入した図録を鞄から取り出し、堺の学友に観に行くことを進めたのである。すると、堺の友も冊子の中身を見てみたいと反応したのだが、セイキは、いま居る祝いの席に向かない内容に思えたのか、原爆資料館で実物の展示を鑑賞することを勧めるに留めた。広島の学友に対する無意識から生まれた配慮であったが、いや、やはり表紙を開いて皆で見てみるべきだったかと省みるセイキであった。

翌日の日曜は広島観光のセオリー通り、平和公園を後に路面電車に乗って宮島口を目指し、フェリーに乗り換えて厳島へ渡った。諸々の見聞を広めて広島市内に戻り、高速バスで広島空港を目指す。しかし、ここで思わぬアクシデントに見舞われる。ネット予約した航空チケットの曜日を間違えており、彼の誤操作で予約した便のフライトは昨夜既に旅立ってしまっていた。広島市内から空港へ片道小一時間ほど時間も掛かることもあり、この失敗以降セイキは飛行機で広島を目指すことはなかった。

翌日の月曜朝、セイキは恐る恐る職場の上司へ電話をする。「すみません、実はいま目の前に広島駅がありまして……」。事情を説明した上で、その日は有休休暇で消化することとなった。あとは鉄道に乗って横浜を目指すだけである。広島から新幹線が発車していたが、その日のうちに帰り着けば問題ない。急ぎの旅でもないので鈍行電車で行けるところまで行き、キリの良い駅で新幹線に乗り換えて帰ることにした。

鈍行電車で彼が目指したのは、大阪であった。

執筆者プロフィール

佐藤誠樹
佐藤誠樹
1980年横浜出身。
大阪芸術大学卒業。
都内で貿易事務の傍ら広島・長崎・沖縄でのフィールドワークに取り組み、核時代100年記の完成を目指して編纂中。近年は西日本豪雨のボランティアとして被災地入りを重ね、その解決策となる”災害対応型道州制(仮)”の可能性について探求を重ねる。
Facebookページサイト
"Hiroshima 8.6.1945-2045"を運営。
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