〔子ども向け本文〕
・物との関係
これまで哲学的に思考すること、あるいはどのように探究するのかについて述べてきましたが、ここで少しまとめてみようと思います。
第一に、「身近なものへ注目する」ことから始めようとこの連載をはじめましたが、そこでは、「身近なもの」とは「生活」であると紹介しました。では、この生活を具体的に考えてみたいと思います。
私たちの生活を形作るものとは一体なにでしょうか? それは、まず第一に「衣食住」ですよね。一般的に生活の三要素とされる「着る」、「食べる」、「住む」といったことですが、こうした事柄が私たちの生活において重要な位置をしめていることは言うまでもありません。そして、これらに共通することは、すべて「物(モノ)」によって成立しているということです。その意味では、私たちにとって第一に身近なものとは、衣食住を含む幅広い意味での「物」との関係であると言えるのではないでしょうか。
・人との関係
つぎに、生活を形作る第二の要素は、「人との関係」です。哲学に含まれる一つの学問に倫理学(*1)という学問があります。俗に倫理といえば人間関係の問題を扱う学問であると言われるように、人間関係はたいへん身近なものであり、関心を持たざるを得ない領域です。私たちの生活を振り返ってみれば、確かに衣食住への関心は大きな要素であり、そこに不満があるときは悩み、満足したときには喜びがあります。しかし、人間関係についての喜怒哀楽というものは、衣食住以上のそれではないでしょうか? 人間関係がうまくいかない時には心を悩ますものですが、他者と好ましい関係を持つことが出来たときには、これほど嬉しいものはありません。
・自分自身との関係
最後の生活を形作る要素は、「自分自身との関係」です。私たちは物や人を相手にしていながらも、常に自分自身とも対話をしています。例えば、これはよい物なのか、そうでないのか。あるいはすべきなのか、そうでないのか……等など。何かをしながらも常に自分自身に対して問を発しながら対象と向き合っています。あるいは、それはよいことだったのか、そうでなかったのかと、一日が終わったときには反省し、明日はこうしよう、明日はもっとよくしよう、彼とはよく付き合おう等など、自分自身と向き合いながら現在から未来を展望しています。このように、私たちはつねに自分自身と向き合い、自分自身と対話しながら生活していると言えるのではないでしょうか。
そして、このような「自分自身との関係」を常に意識しながら生活していることが、私たち人間の根本的なあり方であり、これこそ人間が「自覚的」に生きていることの証左です。
・価値を創り出していくこと
生活と一口に言っても、それは日々の暮らしであり、漠然とした繰り返しのように思われがちですが、ここでは、そこにあえて注目することで、身近なものとしての生活を「物」、「人」、そして「自分自身」との関係であると分析してみました。そして、これらが全体として複雑に織りなす営みこそ、私たちの生活の実際の姿です。
哲学とは、このような私たちの生活から出発する営みであることを何度も繰り返し指摘しました。「物を大切に」、「人を大切に」、あるいは「自分を大切に」とは、よく耳にする言葉です。これら日常生活のなかで使われる素朴な言葉にも、物、人、自分自身との関係をよく見直していこうという意義が含まれています。
哲学は身近なものへ注目することから始まります。身近なものとは生活ですが、そこで発見し、自分自身で考え、そして自覚へと高めていくことがその具体的な手続きとなるとまとめることができます。そしてそのことによって、「物」「人」「自分自身」に対して、よりよき関係を創り出していくことで、生活を充実させていくことが哲学の目的であり課題ということになります。
〔課題〕
さて、今回、田植えのエピソードで「立ち止まる」ことの楽しさを紹介しましたが、どうでしょうか? 見慣れた通学路や、毎日訪れる公園や学校等など、あきれかえるほど「見慣れた場所」で一度、立ち止まってみませんか? そこで発見した事柄があればそれについて考えてみましょう。1回の立ち止まりで気づけなくても、1週間後同じ場所でもう一度立ち止まってみると、違う景色が見えてくるかも知れません。そうしたちょっとした違いが発見したり、自分自身で考えたりすることの出発点になります。
なお、立ち止まるまえに、周囲の安全確認を怠ることのなきよう。
〔一緒にお読みなるサポーターの方へ〕
今回は、これまでお話ししてきたことを一旦まとめてみました。哲学とは身近なものに注目することから始まるとしてこの連載をはじめました。そして身近なこととは生活であるとしましたが、その内実を少々丁寧に見てみました。「物」「人」そして「自分自身」との関係が私たちの生活を形作る基本的な3要素になることを紹介しましたが、ぜひ、お子様ややかかわりあっている子どもさんと一緒に当たり前のように思われているそうした「関係」を一度丁寧に点検してみるとどうでしょうか? ちょっとだけ生活が彩り豊かなものになるのだと筆者は考えます。
〔語句解説〕
*1 倫理学。伝統的に哲学とは哲学、倫理学、論理学の3つの分野から構成される学問とされています。第一の哲学とは、狭義のそれとして「存在とはなにか」を探究する学問であり、倫理学は人間の実践を取扱う学問として、そして論理学とは、思考に矛盾がないかを検討する学として取り扱われてきました。その3者が相互批判的に絡み合うことで哲学という学問の全体が構成されてきました。倫理学とは人間の実践を扱う立場としましたが、具体的に言えば、「人間のあり方」とそして「人間関係のあり方」の二重の位置を探究する学問とされ、私たちが人間らしく生きていくためにはどのような規範が必要なのか指し示す学問とされています。道徳と重なる部分も多いですが、道徳が他律的な立場であることと対照的に、倫理学とは自律的思考を重視し、これが大きな違いとなってきます。
〔読書案内〕
ちょうど倫理や道徳といったキーワードが出てきましたので、今回はアダム・スミスの(高哲男訳)『道徳感情論』(講談社学術文庫、2013年)をおすすめしようと思います。スミスと聞けば、主著である『国富論』に代表されるように「経済学者」としてのイメージが強くありますが、その活躍の基礎には、万学に対する豊富な関心や思索があってこそ展開されたもので、単なる「経済学者」として捉えてしまうことはスミスの思想を理解するうえでさまたげにもなってしまいます。さて、本書は、経済活動が象徴するように人間には、個人の自己愛や利益の追求が重要な位置をしめています。しかしながら各人が尊厳をもって暮らし、調和のとれた社会を実現していくためには、「共感」を根柢に据えるべきではないかと考えた一冊で、その努力のなかに人間の人間らしさが育まれると説いています。実はスミスの考えた「交易」という経済活動も「共感」を必要とするものです。現在のいびつな経済活動が俗に「ハゲタカ資本主義」などと言われますが、スミスの考えた経済活動とは程遠いことがよく解ります。
執筆者プロフィール
- 氏家法雄 アカデミズム底辺で生きるヘタレ神学研究者。1972年香川県生まれ。慶應義塾大学文学部文学科(ドイツ文学)卒。立教大学大学院文学研究科組織神学専攻後期博士課程単位取得満期退学。鈴木範久に師事。キリスト教学、近代日本キリスト教思想史、宗教間対話基礎論を専攻。元(財)東洋哲学研究所委嘱研究員。千葉敬愛短期大学(倫理学)、創価女子短期大学(哲学)、創価大学通信教育部にて元非常勤講師。論文には「姉崎正治の宗教学とその変貌」、「吉野作造の『神の国』観」、「吉満義彦の人間主義論」など。ええと「うじいえ」ではなく「うじけ」です。
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