2045 #13 – ナガサキの地図【無料】

…その後、史実に基づき1945年に原爆投下候補地に選定された都市に広島型の原爆が投下された際の災害規模を示すシュミレートMAPは順調に作成されていった。それらは東から数えると東京、川崎、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、呉、山口、下関、小倉、八幡、福岡、佐世保、熊本の15都市に至った。そして実際に原子爆弾が投下された被爆地の地図を加えると、17都市の連作は完成される。
しかし、ここに来てセイキはひとつの壁に直面していた。それはナガサキの被爆MAPを如何に作成すべきであるか、という課題であった。

長崎市の地形は「鶴の港」と称される一面があるように、南に湾を臨むのに対して鶴が翼を広げたような形状で東西の岸辺が発展した入江の港町であった。海と陸を繋ぐ境目には水源地を北の山奥に保った浦上川が南へと流れ下り、左右の河川敷から陸づたいには市民が生活を営む空間が織り成され、それらの平野を東西の山々が囲い込む、そんな地理が形成されていた。
そこに、広島に投下されたウラン型原子爆弾よりも更に破壊力の勝るプルトニウム型原子爆弾爆弾「ファットマン」が1945年8月9日 午前11時2分に投下された。こうした地形の中にあった長崎の街が一瞬にして地獄の釜と化した事は想像に難くない。故に、五大州の平野に街が形成された広島の原爆被害がほぼ円形状であったのに対して、長崎のそれは複雑な様相を示していた。その被害規模は半径3km、直径にして最長6km圏に至るものの、長崎市を囲む独特な地形の影響もあり、地図上にその被害規模を再現する作業は、やっとヒロシマを訪れたばかりのセイキには至難の技であった。

しかしそれ以上に、原爆投下された長崎市が背負ってきた歴史はとても一筋縄ではいかないものであった。
戦国時代にキリスト教が日本へ伝来された後、海を渡りやってきた宣教師たちによる布教展開と同時に”浦上四番崩れ”に代表される数々の切支丹弾圧が長崎の地に繰り広げられてきた。切支丹を集めた部落集落が形成されると、そこの監視役には棄教した元キリシタンの町民を立てるなど、徹底的な囲い込みが展開されるムラ社会が形成された。
そうした苦難を乗り越えた浦上信徒の末裔たちは明治期を迎えると、それまで”踏み絵”などの検閲が実施されてきた庄屋の屋敷跡地を手に入れ、30年の歳月をかけて建設資金やレンガを自分たちの手で積み立て、高さ25mの双塔の鐘楼を備えた東洋一と謳われる教会を建立した。当時の東洋一の教会建築として仰がれる浦上天主堂である。

しかし完成から僅か22年後、様々なトラブルによって長崎の空に到達した米軍機B-29・ボックス・カー号からプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」が投下されたのは、1万2000名に及ぶ隠れキリシタンの末裔たちが暮らす浦上の地であった。この時のカトリック信者の死者数は少なくとも8500人に至ったとされる。

…それから106日後の1945年11月23日、浦上天守堂の廃墟前では原爆犠牲者合同慰霊祭が催された。天守堂の正面に並んだ神父たちを中心に浦上の信徒たち600人が集いあった。

慰霊祭では浦川和三郎の追悼説教が語られた。「(抜粋)私たちの親、兄弟、夫、妻、子供、友人、みんな​良い人たちが1発の爆弾によって神に召されていきました。そして、浦上はこのような焼野原になりました。明治6年に”旅”から帰ってきた時は、『あばら家』でしたが、浦上に家が残っていましたが、今は一軒の家もありません。…」
そして追悼ミサが行われた後には、長崎医科大学付属病院本館の部長室で自らも被爆し、原爆で妻君を亡くしながらも被爆地の救護活動に献身した永井隆博士が弔辞が読みあげられた。「原子病の体にボロ服をまとい、声涙あふれる弔辞を読みあげられ、参加者一同は声を涙して慟哭した」と、長崎のカトリック文献に記されている(『神の家族四〇〇年』)。

…ナガサキが背負うこれらの歴史については未だつゆ知らず、セイキは被爆地図の作成ついて悩みながらOpenStreetMapで開いた長崎市の地図と睨めっこを続けていた。そして第1案として作成したのは直径6km圏を真っ赤にしたMAPであった。当然、満足のいく完成には程遠いものだったし、日の丸に迷彩柄が施されたようにも見えて納得がいかない。

「やっぱナガサキも行かなきゃ駄目だな…」
具体的な予定の目星を立てた訳ではなかったが、ヒロシマまで行ったからには更にその西域へといつかは行きたい、行かなければならないと直感したセイキなのであった。

執筆者プロフィール

佐藤誠樹
佐藤誠樹
1980年横浜出身。
大阪芸術大学卒業。
都内で貿易事務の傍ら広島・長崎・沖縄でのフィールドワークに取り組み、核時代100年記の完成を目指して編纂中。近年は西日本豪雨のボランティアとして被災地入りを重ね、その解決策となる”災害対応型道州制(仮)”の可能性について探求を重ねる。
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"Hiroshima 8.6.1945-2045"を運営。
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