Salt7 – 「サティスファクション」誕生!
ロック・アンセム、The Rolling Stonesの「サティスファクション」。もちろん、「若者の不満」をとりあげて、その後のロックの歴史を変えた「一曲」ですが、それは、彼らのリスペクトするある人物に対する社会の扱いに対する「不満」が引き鉄となったものなんです。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
ロック・アンセム、The Rolling Stonesの「サティスファクション」。もちろん、「若者の不満」をとりあげて、その後のロックの歴史を変えた「一曲」ですが、それは、彼らのリスペクトするある人物に対する社会の扱いに対する「不満」が引き鉄となったものなんです。
日蓮大聖人の「寂日房御書」には、過去の勇気ある人の例として、樊噲・張良・平将門・藤原純友の4人の名前が挙がっています。この模範とすべき、4人とはどんな人であったか、それを考えると、日蓮大聖人の視座、どこから物をみていたか、が、分かります。
哲学とは徹底的に言語を使って遂行される営みだが、その具体的な方法、そして古代から現代へ至る主題の変遷、そしてほかの学問との関係について論述する。本稿では「何かを考える」ということの具体的なやり方を提示してみたい。
何度転んでも立ち上がる不屈の闘志という意味で使われる「七転び八起き」ですが、実はもともとは正反対の意味だったんです。
広範に共有された大きな物語が潰えた後、残ったのは、「『君が代』と線香のCMの『青雲のうた』」。近代の負荷は国家と広告(経済)と言われ、その負荷を逓減することが課題となってきて久しい。しかしながら21世紀になって、ふたたびその怪物が頭をもたげようとしている。
孔子、イエス、ムハンマド、ゴータマ・ブッダ。四人に共通することがあります。それはなにか?世界の四大宗教の開祖は、みんな家族的境遇が同じだったんです。
哲学とは「徹底的に考えぬく営み」だが、他者の存在を無視した思索とは程遠いことに留意して欲しい。独断専行で物事を思考することは、ひとつの知的営みであったとしても、それは哲学的思索では断じてない。なぜなら、哲学的思索とは、「普遍的」なるものを志向するからである。
「嘘も100回言えば本当になる」とはゲッベルスの言葉だが、ウソの蔓延には手間暇はかからない。しかし、その反駁には膨大な時間と労力が必要とされる。基本的事実の文書化・資料化に挑戦し見事に成功したのが『「在日特権」の虚構』。差別を圧倒する歩みは始まったばかりだ。
ソウル・ミュージックの歴史的存在、ザ・テンプテーションズの第二次黄金時代のボーカル、デニス・エドワーズが、先日(2018年)2月2日に、シカゴで亡くなりました。デニスは翌2月3日が誕生日でしたので、74歳、後一日で、75歳でした。
テンプテーションズの歴史を見ながら、社会と音楽とが激しく交差した60年代から70年代を振り返りたいと思います。
「随自意」と「随他意」、この言葉自体は、『法華経』原典にはありません。中国に経典が伝わってきたとき、それぞれ違う時代に作られた経典が、釈尊が語ったとされている。中身は矛盾している場合もある、その難問への答えとして、「随自意」「随他意」という区分は考えられました。それを、もう一度、釈尊一人の人生ではなく、釈尊以来の経典制作の歴史という視点で考えると、別の理解ができます。