Lwp41 – 宗教百話(5) なんぢの剣をもとに収めよ、すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり
日本で最初の良心的兵役拒否・矢部喜好は、隣国への敵愾心と憎悪心を煽る戦前日本の狭隘な軍国主義をキリスト者の立場から批判しましたが、これは、昔の話ではないかも知れません。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
放佚無慙に居直りを決め込むのでもなく、極端な「かくあるべし」の奴隷になるのでもない在り方は可能なのだろうか。本連載では、そのいくつかのオルタナティブを考えてみたい。表題は思想家ソローのエッセーに倣ったもので、「生き方の原則」とでも訳せばよいか。優しい甘言を退けながら、時評と書評でその材料を提供してみたい。
日本で最初の良心的兵役拒否・矢部喜好は、隣国への敵愾心と憎悪心を煽る戦前日本の狭隘な軍国主義をキリスト者の立場から批判しましたが、これは、昔の話ではないかも知れません。
国家(公益)と宗教(愛)の関係に注目し近代日本の社会事業の足跡をたどる本書は、震災以降、宗教者の支援活動が直面している問題をもあぶり出す労作である。
近代日本の人権思想史上で金字塔を打ちたてたのは、田中正造翁ですが、その実践の背景には「聖書」の思想が深く刻まれています。正造はキリスト教に入信しませんでしたが、その意味を考えてみました。
神話が政治的虚構とすれば、人々の物語とは虚構ではない。それを立ち上げるのが「レジリエンス」である。肝要なのは思考停止を退け、レディメイドの都合のいい出来合いの物語に依存しないことである。
倫理学は身近なものごとへ注目することから始まりますが、案外、身近なものごとを見落としすぎているのではないでしょうか? あえて注目することで知らなかったことが見えてくるものです。
学問で重要なことは、大学や学問の制度や母国といった「ヤシガラ椀」の外に出ることであるが、これは全ての人間現象に当てはまる萃点である。『想像の共同体』著者の自伝的名著は、しびれる一冊である。
近代日本の文壇は「人々に差別されつつ、人々を差別し返すという性格を刻印された小社会」という指摘がありますが、このルサンマンの複合汚染が、変革のできない日本的精神風土を形成しているのではないでしょうか。
今月はアウシュヴィッツを理解するための3冊を選んでみました。生還した記録、アウシュヴィッツ収容所所長の告白、そして戦争責任への個人の応答の哲学的思索の3冊です。歴史修正主義が吹き荒れる今だからこそ当事者の言葉に耳を傾けたい。
「一つの宗教しか知らない者は、いかなる宗教も知らない」という言葉がありますが、宗教についての基本的な情報を提供する宗教学こそ、21世紀を生きる誰もが学ぶべき学問です。その理由を考えてみました。
現在日本を席巻する全体主義的雰囲気は、熱狂とは無縁の低温やけどのようにじわじわと浸透している。刊行から4年近く経過したが、民主主義の破壊は今だ進行中である。