哲学入門6 – 第1章「哲学を学ぶために」 1.3 哲学の方法 4 哲学の主題 5 哲学とほかの学問
哲学とは徹底的に言語を使って遂行される営みだが、その具体的な方法、そして古代から現代へ至る主題の変遷、そしてほかの学問との関係について論述する。本稿では「何かを考える」ということの具体的なやり方を提示してみたい。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
筆者は2003年4月から2016年3月まで足かけ13年あまり、創価女子短期大学において「哲学入門」を担当してきた。哲学とは自分自身の認識の更新であり、そのことが生きる標(しるべ)に練りあがる。哲学を「学ぶ」のではなく「哲学する」こと念頭に授業を創ってきたが、本連載では、紙上でそれを再現してみたい。常に考え学び続けていくことの一つのきっかけになれば幸いである。
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哲学とは徹底的に言語を使って遂行される営みだが、その具体的な方法、そして古代から現代へ至る主題の変遷、そしてほかの学問との関係について論述する。本稿では「何かを考える」ということの具体的なやり方を提示してみたい。
哲学とは「徹底的に考えぬく営み」だが、他者の存在を無視した思索とは程遠いことに留意して欲しい。独断専行で物事を思考することは、ひとつの知的営みであったとしても、それは哲学的思索では断じてない。なぜなら、哲学的思索とは、「普遍的」なるものを志向するからである。
哲学はどこから始まるのだろうか。全ての探究はひとが驚いた時に始まるのである。その意味で哲学とは誰もが一度は経験したものである。第1章2節では、人間にとっての根源的な2つの問いと哲学の役割を吟味し、哲学とは何かを定義してみる。
第1章1節に関するコラム。哲学の最も広い意味合いは「原理原則」や「根本原理」の探求であるから、その学びを通してその人の人生哲学を構築することも可能である。しかし、安直でコンビニエンスな人生訓や自己啓発の如き有象無象とは程遠い立場である点には留意すべきであろう。
第1章1節では、順を追って哲学とは何かを考察する。先ず、日常生活で使われる哲学と学問で使われる哲学という言葉の共通点と違いを確認する。両者に共通することとは、「何かを行うときの基本的な考え方、原理原則」ということだ。違いはその適応範囲である。
筆者は2003年4月から足かけ13年あまり、創価女子短期大学において教養科目の「哲学入門」を担当してきた。哲学というと、堅苦しいイメージがあるが、人間が困った時、考え直そうとした時、その原点となる考える材料というのはその実相である。本連載では、学生に配布した講座「哲学入門」のレジュメを下敷きに、筆者自身の「哲学入門」を改めてまとめてみた。「哲学」とは憶えるものではなく「哲学する」ものだが、その一助になれば幸いである。