Lwp66 – 書評:鳥居『キリンの子 鳥居歌集』角川書店。【無料】

書物にはわざわざ解説するよりも、「とにかく読め」と言うほかないものが存在する。詩集や画集といった類がそれに該当するが、それでも、「とにかく読め」という妥当性を無理やりひねり出して、すなわち余分としか言う他ない「解説」という名の徒労を自ら買って出る奇特な人間が存在する。それが書評子というパン屑拾いである。しかしそれは性分だから、もうどうしようもない。しかし、今回取り上げる『キリンの子』もそうした一冊で、まあ、「とにかく読め」。

病室は豆腐のような静けさで割れない窓が一つだけある

本書奥付の著者プロフィールをそのまま抜き書きしたい。

鳥居(とりい) 2歳の時に両親が離婚、小学5年の時には目の前で母に自殺され、その後は養護施設での虐待、ホームレス生活などを体験した女性歌人。義務教育もまともに受けられず、拾った新聞などで文字を覚え、短歌についてもほぼ独学で学んだ。「生きづらいから、短歌をよもう」と提唱し、その熱烈な印象を残す短歌は人々の心を揺さぶり、支持を広げ始めている。義務教育を受けられないまま大人になった人たちがいることを表現するためにセーラー服を着ている。

歌集は「海のブーツ」と題された作品群からはじまる。「豆腐のような静けさ」の一首が劈頭に置かれている。静寂といえば静寂だが、これほど不穏な気配、危うい環境を浮かび上がらせるものはなく、つづく歌をめくっていくと、自殺未遂体験を歌ったものだと理解できる。

目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月のひかりはかあさんのいろ(キリンの子)

灰色の死体の母の枕にはまだ鮮やかな血の跡がある(曲がり角)

亡き母に同窓会の通知きて代理で「欠」の葉書を返す(みずいろの色鉛筆)

鳥居の歌う死んでいく母の様子は凄惨な出来事であるにもかかわらず淡々と克明に描写されている。一般的に、短歌のなかには辛い記憶を歌うものも少なくないが、鳥居が直感的に捉え描写した作品には、いまここで起きているような迫力がありながらも、どこまでも冷静に細部まで注目する作品が多い。プロフィールに「生きづらいから、短歌をよもう」とあるが、ここに鳥居の鳥居らしさがあるのであろう。ただし、(それが事実としても)芸樹が人間を救うという単純な話に還元したくはない。

あおぞらが、妙に、乾いて、紫陽花が、路に、あざやか なんで死んだの(なんで死んだの)

海越えて来るかがやきのひと粒の光源として春のみつばち(光源)

一杯の空の反射を運びつつきみの待つ窓際の席まで(光源)

鳥居はその凄惨な体験ゆえ、現在もPTSDに悩まされているという。しかし、収められた短歌のなかには、そうした経験とは無縁のような美しき描写も少なくない。ここに彼女の才能を認めることができよう。人間を蘇生させる短歌という営みは、人間が棲む環境とは無関係ではないことを物語っているようだ。単純な言葉を選びたくないが、事実としてそうだから選ばざるを得ないが、「心が洗われる」とはこのことである。

剥き出しの牛肉のまま這う我を蛇のようだと笑う者おり(孤児院)

慰めに「勉強など」と人は言う その勉強がしたかったのです

止むを得ず自衛のためと少しずつ戦車の向きがずらされていく

かつて政治学者丸山眞男は哲学者鶴見俊輔との対談で、日本思想史における「マイホーム主義」の問題を指摘した。その具体例が最古の歌集である「万葉集」である。

いわく、

「マイホーム主義というのは、これはね、『万葉集』とともに古いんだなあ。ちっともそれと切れてない。敷島の大和の国に人ふたり--つまり君とぼくと--ありとし思はば何か歎かむ、あとは知っちゃいない、可愛いかあちゃんと二人だけの閉塞的な天地をつくっちゃえば、あとはベトナムもヘッタクレもあるかって考えは、太古からあるんだなあ(笑)」(「普遍的原理の立場 丸山眞男」、『鶴見俊輔座談 思想とは何だろうか』晶文社、1996年)。

である。

万葉集には、「大君の辺にこそ死なめ」という滅私奉公という流れと、社会から隔絶した、いわば、わたしたちだけの世界、というマイホーム主義の二つの流れがあり、それがいわば日本文化の古層になっているとの指摘である。たしかに、短歌や誹諧の世界に、「社会性」のようなものを読み取ることは稀である。しかし、かつてのプロレタリアート文学のように過剰に「社会性」を発信するのも辟易とするのが事実であるが、鳥居の作品には、そうした極端をさけながらも、切実な生きる問題としての「社会性」が見事に表現されている。

私たちが社会に参加する、世界を変えていくというのは、特定のひとびとの専従活動のごとき営みではなく、短歌を詠むように関わり続けていくことで、ひょっとすると時代を経たあとに振り返ってみれば、変わってしまっていたというようなものなのかも知れない。

短歌の生命力そのものを前に、その生命力を腐すがごとき解説を連ねれてしまったが、最初に戻ろう。

とにかく読め!

執筆者プロフィール

氏家法雄
氏家法雄アカデミズム底辺で生きるヘタレ神学研究者
氏家法雄 アカデミズム底辺で生きるヘタレ神学研究者。1972年香川県生まれ。慶應義塾大学文学部文学科(ドイツ文学)卒。立教大学大学院文学研究科組織神学専攻後期博士課程単位取得満期退学。鈴木範久に師事。キリスト教学、近代日本キリスト教思想史、宗教間対話基礎論を専攻。元(財)東洋哲学研究所委嘱研究員。千葉敬愛短期大学(倫理学)、創価女子短期大学(哲学)、創価大学通信教育部にて元非常勤講師。論文には「姉崎正治の宗教学とその変貌」、「吉野作造の『神の国』観」、「吉満義彦の人間主義論」など。ええと「うじいえ」ではなく「うじけ」です。