Lwp70 – 宗教百話(8) 宗教のために生きるのでもなく、宗教にあきらめるのでもなく

筆者はこれまで、南原繁や吉野作造など、近代日本のキリスト者の歩みを研究してきたが、ふたりに顕著なことは、「宗教(信仰)のために」「なにかをなす」という意識が希薄であるということだ。南原繁も吉野作造も、社会参加に関しては積極的な人生であったから、これは意外にも思えるが、実はここが大切なのである。

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