freak81 – 臨床のことば/生死一大事血脈抄(その2)

freak79 – 使ってるけど、ゆうてへんねん/生死一大事血脈抄(その1)
のつづき

 

「生死一大事血脈抄」の最後の文(p.1338)、有名な御文です。引用します。

相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり

急角度で、曲がってきましたね。天台本覚論ではないか、と見まがうトーンで始まった本抄。これぞ、大聖人ではないか、という着地点を迎えました。

これ以上の説明は無益であり、御文を読んでいただければ、もうええかと思います。

一応、自分なりの考え方を述べておきます。

当時の天台宗、中古天台、台密、それから、平安時代以降、日本の坊さんは、比叡山に行って、円頓別受戒を受けねば、坊さんになられへん、というのが、基本原則ですから、当時の天台宗の考え方を学んで、帰ってきた各宗派の坊さんたち、また、その影響を受けた、「社会常識」からいえば、「生死一大事血脈」というのは、

「凡夫即仏」「生死即涅槃」「煩悩即菩提」という「真理」のことであり、それを体得すること。また、それを完全に体得した比叡山座主の位を譲り与える儀式。

それは、実生活からかけ離れた抽象的な理屈であり、形式的な儀礼です。

その「生死一大事血脈」という言葉を大聖人は、「臨終」の場に照らし合わせます。死だけではないでしょう。

老病死の苦しみ、悩み、不安の場に、「生死一大事血脈」という言葉や、考えを、そのような悩みのすぐそばに置くことができるのか?

「一身即三身でございます」とか「報中論三・倶体倶有の自受用身如来の因果があるのでございます」とか「雖脱在現具謄本種の功徳でございます」とか、

それが、「臨床のことば」になりますか?

「そんなにつらかったんやねぇ」のほうが、こころの奥底に響きますよね。

臨終の場においても、人を支えることができることば。それが「宗教のことば」だと思います。

画像は、同じく、死線をさまよった病院の近くで。

執筆者プロフィール

友岡雅弥
友岡雅弥大阪大学文学部博士課程単位取得退学(インド哲学専攻)
高校生時代から、ハンセン病、被差別部落、在日、沖縄、障がい者、野宿生活者など、さまざまな「社会の片隅で息をひそめて暮らす人々」の日常生活のお手伝いを。

2011年3月11日以降、東北太平洋沿岸被災地に通う。

大学院時代は、自宅を音楽スタジオに改装。音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J -Pop以外はなんでも聴く。

沖縄専門のFM番組に数度ゲスト出演をし、DJとして八重山民謡を紹介。友人と協力し、宮川左近シヨウや芙蓉軒麗花など、かつて一世を風靡した浪曲のCD復刻も行ったことも。

プロフィル画像は、福島県で三つ目の原発が計画されていた場所だったが、現地の人たちの粘り強い活動で、計画を中止させた浪江町の棚塩。津波で壊滅し、今は、浪江町の「震災ガレキ」の集積場・減容化施設が建設されている。

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