FF14 – 浪江町・飯舘村にいってきました その4
6月24日は、いよいよ飯舘村のかたがたとの交流でした。釜ヶ崎のおっちゃんたちの当事者活動である、紙芝居劇むすびのかたがたと一緒に、舞台に登りました。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
6月24日は、いよいよ飯舘村のかたがたとの交流でした。釜ヶ崎のおっちゃんたちの当事者活動である、紙芝居劇むすびのかたがたと一緒に、舞台に登りました。
人間を限界づけたカントの批判哲学は後継するドイツ観念論によって徹底的に批判されることになる。本稿では、フィヒテとシェリングの超克を紹介する。あとがきのロマン主義批判は必見!
現世利益を全否定しようとは思いませんが、それでも宗教の重要な役割である「現世を否定する態度」よりも持ち上げられてしまうと、恐ろしいことになってしまうのではないでしょうか。
仏の過去世の姿を描いた典籍がたくさんあります。「本生譚」と言われます。それは、過去世に、こんなたくさんの修行をしてきたんだ、歴劫修行だ、ということをいうための典籍ではありません。それは、いろんな人が、それぞれの思いで作ったものが、後に経典になったり、ある経典の一部に入ったりしたものです。
でも、その多くは一つのことを言いたいがために、創作されました。それは。
「民主主義を学習する」シティズンシップ教育とは一体どのようなものでしょうか。それは、複数性と差異のなかで一人の人間が政治的な主体であることを獲得とするものです。現代日本で最も書けている視座を提供するのが本書の醍醐味です。
6月22日から福島県の飯舘村と浪江町に行ってきました。前は3月に行ったのですが、今回は、思いがけない出会いもありました。「その2」からの続きです。
ジョン・ロックの認識論と政治哲学の深い結びつきについて論じてみました。私たちが「当たり前」と認識している社会構想もロックなしにはあり得なかったことを記憶したい。
今回はヴェーバーの学問論を取り上げます。「学問の領域で『個性』をもつのは、その個性ではなくて、その仕事(ザッへ)に仕える人のみである」。ヴェーバーの指摘は、学問を越え、あらゆる分野に当てはまる黄金律かも知れません。
この国の配達時間や到着時間は恐ろしいほどに正確です。しかし、その絶対さを保証することは存在論的にあり得ません。この絶対さを強調し依存することは一種の病ではないでしょうか。
東日本大震災から7年の歳月を見てきて、「強いリーダー」のところが、発災当初は物事が迅速に進むように見えました。ところが、二年、三年経つうちに、そういう自治体、企業、団体に、現場のニーズと齟齬が目立つようになりました。これは、驚くほど明白でした。予算分配が、結局、非効率となり、しかも必要としている人に届かない。発災当初、とても、ありがたい示唆を、ある「現場のかた」からいただきました。その「示唆」について述べます。