Lwp37 – 倫理学的に考える 身近なものごとに注目すること
倫理学は身近なものごとへ注目することから始まりますが、案外、身近なものごとを見落としすぎているのではないでしょうか? あえて注目することで知らなかったことが見えてくるものです。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
倫理学は身近なものごとへ注目することから始まりますが、案外、身近なものごとを見落としすぎているのではないでしょうか? あえて注目することで知らなかったことが見えてくるものです。
「単衣抄」の御文から少し離れて、「仏のことばを証明する」ということについて、いろんなことをつれづれなるままに考えたいと思います。
学問で重要なことは、大学や学問の制度や母国といった「ヤシガラ椀」の外に出ることであるが、これは全ての人間現象に当てはまる萃点である。『想像の共同体』著者の自伝的名著は、しびれる一冊である。
オディロン・ルドンという、おどろおどろしい名前の画家がいます。ちょっと一部の人にはとても人気な画家です。フランスの。その画風から思いついたことを書いてみました。
西洋近代哲学は存在論から認識論への転回として始まった。その二大潮流が大陸合理論とイギリス経験論である。権威によらず理性と経験によって真理を探求するこの二つの試みはやがてカントによって統合される。
「単衣抄」の「日蓮・日本国に出現せずば如来の金言も虚くなり」ということばは、どのように解釈するか、それは、自分の信仰の有様を試す試金石となるかもしれません。
(すたぽ運営事務局から) この記事は、すたぽに寄稿いただいた原稿を記事として公開させていただいております。ご寄稿者に御礼申し上げます。 投稿者:斎藤善興 なぜ教学を学ぶ必要があるの? そう聞かれることが時々ある。皆さんは …
近代日本の文壇は「人々に差別されつつ、人々を差別し返すという性格を刻印された小社会」という指摘がありますが、このルサンマンの複合汚染が、変革のできない日本的精神風土を形成しているのではないでしょうか。
幸・不幸と並べて語られますが、一体、人生って、そんな二面性しかないものなのでしょうか。希代の漫才師に起こった出来事を通じて、なんとなく考えたいと思います。
今月はアウシュヴィッツを理解するための3冊を選んでみました。生還した記録、アウシュヴィッツ収容所所長の告白、そして戦争責任への個人の応答の哲学的思索の3冊です。歴史修正主義が吹き荒れる今だからこそ当事者の言葉に耳を傾けたい。