Lwp10 – 書評:楾大樹『檻の中のライオン』かもがわ出版、2016年。憲法は私たちの生活に関係ないと「錯覚」させていればいるほど、それは機能している。
本書は国家権力を「ライオン」、憲法を「檻」と喩え、憲法の基本的な考え方を概観するが、「憲法なんて私たちの生活に関係ない」と思う人にこそ手に取ってもらいたい一冊である。
大事な何かをその手に取り戻す実験場。政治、宗教、生活、歴史、経済など各界の論客たちが思い思いの言葉を綴ります。
本書は国家権力を「ライオン」、憲法を「檻」と喩え、憲法の基本的な考え方を概観するが、「憲法なんて私たちの生活に関係ない」と思う人にこそ手に取ってもらいたい一冊である。
ケニアに仲間がいます。孤児院&学校をしています。その学校の教員や卒業生がときどき、日本を訪れてくれます。その人たちが「人類共通の財産」と誇りを持っているものがあります。それは……。
世界が称賛、日本のうんちゃら、とかいうものと、正反対のものです。
福島に通い続けています。友人や仲間もたくさんできました。
でも、福島については、最初の段階からそこに住む人々について、また、その人たちの「思い」について、見過ごされてきたという気持ちがぬぐえません。放射線量とかの数値が。確かに、数値も大事なんですが、人を忘れてはいけないと思うんです。
「福島にまだ住み続けているなんて、おかしい」とかいう反原発の人の声も、時々、目にします。
でも、原発事故の被害者のかたがたが、もっとも「反原発の証人」ではないかと思うのです。その人たちの気持ちを少しでも自分のものとすることが、一番最初になすべきことではないかと思うのです。
それで、FUKUSIMA FACTと題して、そこに住む人たちの”FACT”を考えたいと思います。九回連載の一回目です。
哲学は一体、何の役に立つのだろうか。役に立つという自体、実際のところ役に立たないことが多いが、それは「何のため」という意識の欠如があるからであろう。そうした根本的なところから考察するのが哲学だが、ここではその存在意義や学ぶ意義を紹介し、1章をまとめておきたい。章末に資料あり。
文系諸学が「役に立たない」として切り捨てられる現状だが、大切なことは、いったい、何のためにそれを行うのか、という意識であり、それを根本から考えるのが哲学である。本稿では哲学の存在意義と学ぶ醍醐味を紹介したい。
二元論と絶対的真理の主張で評判の悪いプラトンですが、その真意は、真実を探究せず、移ろいやすい世界や物事を絶対化させてしまうことへの警鐘だったのではないでしょうか。プラトンの説得的な構想力は、いまこそ必要とされる対話的叡智といっても過言ではありません。
文証・理証・現証というのは、仏教独自のものではなく、広くインド哲学全般、いや、インド社会の一つの一般的な学問的教養でした。果たして、それはどういうものか?
政府は、企業が雇うに値する能力の向上に取り組む大学にのみ資金援助をしようと考えているが、大学はそうした能力を養う現場ではない。企業そのものが破綻しないように「専門知識に光をあてて正しい方向に導く」のが大学教育=教養教育である。「セコい」短絡的な議論が、教育を崩壊させるだけでなく、経済活動そのものまでを麻痺させてしまうのだ。
哲学とは結局「言語」をもってしか遂行し得ない営為だからこそ、例えば、「おもしろい」だとか「難しい」と思ったことを言葉として明確にして自己に向き合わせておくことが大切になってくる。「鉛筆とは何か」といった考えるまでもないと自明に思っていることを改めて点検してみることも哲学的省察への第一歩となる。
日蓮大聖人の「寂日房御書」にこういう一節があります。
「法華経の行者といはれぬる事はや不祥なり、まぬかれがたき身なり」とあります。「不祥」という言葉が、当時、どのような響きを持っていたのか、それを知ると、この一節のもつ、切迫感がより迫ってきます。
近代日本の民主主義は全て「戦後」民主主義。「今日の『戦後民主主義』の最大の課題は、それを歴史上最後の『戦後民主主義』とすることである」。