名著を読む30 – マックス・ヴェーバー(大塚久雄訳)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)を読む。

◇ 時は金なり

…カトリシズムが「非現世的」だとか(それは仮設上のことに過ぎない)、プロテスタンティズムが唯物主義的な「現世のたのしみ」を含んでいるとか(それも仮設上のことに過ぎない)、その他この種のさまざまな漠然とした観念によっては、とうていこの問題を説くことはできない。だいいち、このような大ざっぱな観念は現在の事情にも十分妥当するとは言えないし、過去の事情には全然適用しえない。かりにこれらの観念を使って議論をすすめて行こうとすれば、その場合、すでに説明したことがらのほかにも、なお種々の現象が見出され、その結果、いやおうなしに次のような考えに近づいてくることになるだろう。すなわち、一方の非現世的、禁欲的で信仰に熱心であるということと、他方の資本主義的営利生活に携わるということと、この両者は決して対立するものなどではなくて、むしろ逆に、相互に内面的な親和関係(Verwandtschaft)にあると考えるべきではないか、と。
(出典)マックス・ヴェーバー(大塚久雄訳)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫、1989年、28-29頁。

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